本だらけの長野旅行
安定期に入り、片っ端からやりたいことに手を出そうと息巻いている。
あの子やあの人に会いたい。少し遠い気になるパン屋さんも行きたい。ライブも行きたい。やっぱり海も行きたい。映画も観たい。美容院でさっぱりしたい。夜遊びもしたい。要らないと思っていたマタニティーウェアも少し欲しいから、買い物もしたい。
何より旅行に行きたい。
これらの多くは育児が始まったら、しばらく簡単に出来なくなるらしい。
イコール、安定期の今しかないらしい。先輩ママ達からの決まり文句、
「妊娠後期に入る前に、やりたいことやっといた方がいいよ」にあわあわと焦ってきた。
しかし、気持ちとは裏腹に体は着実に重くなっていく一方で。
よいしょっと声を上げ丸い腹を抱え、一泊二日の長野旅行へ出かけることにした。
楽しみにしていたALPS BOOK CAMPめがけて!
それは静かな森の中、湖のほとりに、県内県外各地から本屋さんが集まる、ため息の出ちゃうような夢のようなイベントなのだ。
音楽あり、フードあり、雑貨あり、ワークショップあり、
湖畔にレジャーシートを広げて、買った本を思い思いに読んだらいいのさって、
なんだこの初めて訪れたとは思えない居心地の良さ。
生憎雨が降ったり上がったりしっとりな天気だったため、ゴロリと寝っ転がることはできなかったけど、それでも久しぶりにてくてくと歩きまわり、のびのびと呼吸をして、ほんとうに気持ちのいい1日だった。
晴れていれば湖で泳ぐこともできるみたい。雨が降っていても子どもたちは水の中ではしゃいでいたっけ。寒くないのかな、子どもは強いな、かわいいな。
その晩は近くに宿を取り、夫は久しぶりにビールなんか飲んじゃって、私は久しぶりの温泉に少しだけ浸かった。
2人で過ごす夜はいつになく静かで、来年もまた遊びにきたいねって話をしていたら、
その時はもう3人なのかぁなんて、なんだか急に感慨深くなったり。
2人で過ごす時間もあと5ヶ月か。
知り合ってもう10年と経っているってのに、まだ名残惜しくなってしまうだなんて。
ケンカもほどほどに2人でしたいこと、楽しいことたくさんしようと思うんだった。
翌日は北アルプス国際芸術祭の最終日。
気になっていた作品を数点、見てまわった。山や自然がテーマになっている作品が多いから、アートに疎い私たち夫婦でも、十分楽しむことができた。
作品の展示してある各エリア間は車で移動するので、大自然の中のドライブも楽しみにしていたのだけど、この日も厚い雲が消えることはなく、すぐそこに見えるはずの北アルプスの山々を拝めなかったのは、少々残念だった。
あの雲の先にきっと白馬岳が見えるはずだね、早く子ども連れて登山に行きたいねって、話しながら大町市を後にした。
そんなわけで少し早めに切り上げたので、オマケで帰り道にある、これまた行きたかった上田市のNABOという古本屋さんへ寄り道することにした。
店内に並ぶ本は全て、飲み物を飲みながら読むことができるらしいので、何時間でも居れてしまいそうな贅沢なお店。
お店に入るなり飲み物を頼みもせずに、本棚の端から端を行ったり来たり、
読みたかった本や面白そうな本を手に取っていると、あっという間に時間は過ぎていて、もう1件寄りたかったパン屋さんはすでに閉店してしまっていた。
せっかくなので帰り際にコーヒー1杯をテイクアウトし、ちびちびやりながら、上信越道に乗り、家路を急ぐ。
最近は夫婦揃って妊娠出産にまつわる本ばかり読んでいたけど、
この旅行のために貯めたおこづかいで、自分だけの本を数冊買えたので、しばらく妊娠出産本から離れよう。いろいろ詰め込み過ぎてちょっと疲れたところ。
って、夫はまーたその手のマンガを買っていたけれど。
さて、帰ったらどれから読もうか。
いや、まだ家にはたくさんの積本があるんだったよな。いつになったら読み切るのか。
しかし、世の中読みたい本だらけだ。
楽しかった旅行もタダイマしたら、どっと疲れが出て、
ぱたりと眠ればひらりと朝が来て、また日常生活が始まったよ。
さて、仕事から帰ったらソファでゴロゴロ本もいいけど、少し運動もしないとな〜
あんまりぶくぶく太ると、やりたいことやるにも一苦労やで~
妊婦!すべての欲望と戦う
何を隠そう、私は酒も男もあれもこれも好きだ。
それに、寿司や牡蠣やレアのステーキやナチュラルチーズなど、当たりやすい食べ物が好きだ。
飲み物は基本紅茶か緑茶で、コーヒーも好き。スパイシーなカレーは1日1回は食べたい。
これ全部NGね!妊婦だもん、当たり前でしょ?
わかっていたけど、この風当たりが思ってた以上に辛かった。いや、向こうから当たってくるわけじゃない。むしろ私がガンガン当たりにいってる感じか。
どいつもこいつも、寿司屋もカフェも気に入らねぇ、みたいな気分になった。
嬉しい時、楽しい時、疲れた時、泣きたい時、私は酒をあおり、それら好きなものを食べ、コーヒーを飲み、男の子を眺めた。それなのに、その全部の気持ちをノンアルコールでおとなしく過ごせとは、なんてこった!早くも逃げ出したくなった。
そして、自分の準備不足を呪った。
いつするかわからない妊娠だからこそ、いつしてもいいように、やめておくか、やめられるようにしておくか、やめる前に思う存分やりまくるか、しておくべきだった。
いくらしたって準備万端とは言えなくても、私は圧倒的に不足していて、子どものようにダメと言われれば言われるほど、すべてを欲しがった。不機嫌になり、自己嫌悪になり、夢にまで出てきた。
妊活中あんなにはりきって飲んでいたルイボスティーが一瞬で味気なくなり、
生牡蠣で日本酒、カフェで一服、ウェルダンのステーキならむしろ食べたくない。という、有り様。
私はおかしいのか?妊婦失格なのか?
妊娠したら、一切合切やめると言うか、自然と欲しなくなるものだと信じていた。
ホルモンがそうさせてくれるのだとばかりに。
すっかり自信をなくしおろおろとうなだれる私に、すでにママをしている友達は豪快に笑い、気にしすぎもよくないよと、その気持ちを優しく許してくれた。逆に未経験の友達は、正しく厳しかったりもした。
誰かを非難するつもりでも、自分を甘やかすつもりでもないけど、この時期の出来事で、私なりに感じたことがある。人の気持ちって、いくら想っても全然わかってあげられないのかもしれないということ。
まったく同じ体験や状況は経験できないけど、同じ立場になってみないとわからないことってやっぱりある。
当たり前なのかもしれないけど、妊娠してみてわかったことが確かにあって、それは少し前まで私がやんわり想像していたことと、まったく違うわけではないけど、もっとずっとなんていうか濃くて深かった。
恋をしてみて、失恋してみて、働いてみて、結婚してみて、病気になってみて、何かを始めてみて、わかることがあるし、その立場になってみなければ、ほとんどわからないに等しいのかもしれない。
私も何もわかっていなかったから、想像力が足りなかったから、早くに妊娠しママになった友達を当時傷つけたであろう自分の言動が、いくつも頭に浮かび上がった。
それは、妊娠以外のことでも浮かんできたのだから、同じ立場になったことがあるにもかかわらず、まったく同じ経験をしてはいないからなのか、やはり想像力が足りないからなのか、たぶん傷つけてしまったのだし、何もわかっていなかったように思う。
今からでも謝りたい気持ちだ。
正しいアドバイスはもちろん大切だけど、時として嬉しいアドバイスや優しいアドバイスに、どれだけ救われるか、大げさだけど、この時とても染みたのだ。
がんばろうと元気が出たのは、私もだったよ、大変だよね、と言ってくれた、嬉しいアドバイスだったから。
こんなことを言い出したら、もう何も言えなくなっちゃうけど、よっぽど伝えたいことがない限り、アドバイスは相手が嬉しいものを贈りたいと思った。
何が正しいかは、本人がほんとは一番わかっていると思うから。
そんなわけで、朝まで飲み歩くなんて、もうしばらくできないのだろうな。
インスタに上がる、BBQ&BEERな写真に震えながら、しみじみ思う。季節は巡り、夏が来る。
当たり前だけど、みんなみんな変わっていくのだ。
立場が変わってしまう友達がいることに、どうしようもない寂しさが募る夜もあるけど、今までいっしょだった数々の共通点を胸に、今までより思い合えるように、なれたらいい。
もうなっていくしかないし、なっていけないかもしれないことを、今はあんまり考えたくない。
なんだか大真面目に書いてしまったが、要するに私は妊婦になったって、酒もあれもこれも、悲しいかな、全部したかった。飛行機に夜行バスに乗って、どこでも行きたかった。
母性なんて、妊娠しただけじゃ、空からキラキラ降って来やしないのじゃ。
いや、母性の塊みたいになっていくキラキラ妊婦さんを何人も見てきたから、自分もそうなるとばかり信じていたし、だからそもそも自分には母親になる素質がないのではと、心底ガッカリしたのだ。
え!なれてないよ、私って。これ、結構ショックだった。泣いたし。
そして、これくらいのことで、自分がこんなに過敏にいちいち反応するとも思ってもみなかったので、この先も初めてのことばかり、わからないことだらけなわけで、
うーむ、道はたいそう険しいと思われる。
今回の準備不足、いい勉強になっただろう。
ぼちぼち引き上げて、次にやってくる試練はもう少し上手いことやってのけたいものだなぁと。
しかし、ビールのない夏なんて...って、ほらもう、ね!!!
どうも今度は妊婦ブログになりそうです。
毎月やってくる妊娠検査薬との睨み合い。
これ不良品じゃない?と疑い出す。そして、もう一本。やはり線は出ない。
往生際が悪い。なけなしのあと一本。またムダにした。
丸い窓を睨み過ぎて、うっすら線が浮かんできた気さえして、目を擦る。いや、真っ白だ。
手を合わせて念じる。“終了”の窓にじゃなく、“判定”の窓にあの縦の線が欲しいのです。どうか私に線をひとつ。
再び角度を変えて見る、光りにかざす、いや、どう見ても真っ白か。正気に戻る。深いため息をひとつ。
・
・
・
そして、私はついに妊娠した。
たかだか半年が過ぎただけなのに、もしかして妊娠できないのではと、頭に浮かんできた頃だった。
ちょうど通院している産婦人科で、夫婦でがんばってダメなら、この妊娠に邪魔そうな筋腫を取りますか!と言われていた手術を、いよいよするかしないか決める月でもあった。
なので、その月に突如現れた線を見てもまだ、自分だけでは信じ切れず、そのまま妙なテンションで立て続けに2本キメて、次々浮かび上がった線たちをきれいに並べて、写メし、2人の子を持つ友達にLINEした。既読を確認するや否や、即電話。
これは線なのか?これが噂の線なのか?と詰め寄った。
経験者が言う「たぶん、間違いないよ」の一言でやっとうわーーーー!となったのだ。嬉しいっていうより、勝負を勝ち取ったような、そんな気分だった。
並べた妊娠検査薬に深々頭を下げ、ありがとうございます。と心の中ではっきりと言った。
そのすぐ後に、やっぱりあわあわと狼狽え始めたのだ。
え、ほんとに私妊娠しちゃったの?
当時書き留めていた気持ちを読み返すと、全てウソのよう、まるで自分ではないようで、嫌になって残らず消した。世に広がるマタニティーライフってのを意識し過ぎ、やたらと神秘性を求めていた。
現実はそんな甘くなかった。自分が天邪鬼の面倒くさい奴だってこと、忘れていた。
妊婦になったら性格までふんわり柔らかくなるかと一瞬思えたけど、無理矢理ほほえんだ笑顔に隠された、心のギザギザはそう簡単に隠しきれやしないのだ。
厄介だった、ほんと。これはあとで愚痴ろう。
それから時間にして4ヶ月が経ち、妊娠5ヶ月と言われる期間にまで、やって来た。
信じられないが、お腹も少し出てきた。
今から祝!マタニティーライフスタート♡とはいかないけど、やっと少し落ち着いて妊娠したことと向き合える気持ちを持ち直したとゆーか、単に妊娠期間が半分近くも過ぎて、焦って来たのか、残したい思いが溢れてきた。
だって、あと数ヶ月後には、子どもを産むかもしれないんだぞ。
私たち夫婦の一方的で勝手な願望で、一人の人間をこの世界に連れてきてしまうんだぜ。
もしかすると一生に一度かもしれないな。
そして、自分の無力さを痛感させられた。
果たしてこんな不摂生な生活のままでいいのか?こんな腐った世の中と、ほざいたままでいいのか?大小異なるたくさんの不安や疑問を、何度も夫に打ち明け、今出せる答えを探り、確かめ合った。
まだ間に合うことはあるか?今から出来ることはないか?これからどんな家庭を築いていきたいか?頼りない2人で、提案し合った。
その提案の多くは今もまだ出来ないままだけど、現在進行形で多くのやりたいこと、やるべきこと、思いを両手いっぱい抱えている。
それはどれももちろん不安要素であるのだけど、同時に味わったことのない喜びでもあるのだ。
こんな不安と喜びにぐちゃぐちゃに押し潰されそうな日々、辛いと幸せを同時に浴びる日々、忘れたくない。
そして、「あーまじショボいわ、あの頃の私」って、いつか笑ってやりたい。
その時のつまみに、残しておこうと思い、放置していたブログを再び開いた。ずいぶん時間は過ぎていたんだなぁ。
今度は妊娠出産ブログになるのか?まぁなんでもいいや。
頼りなくて、弱音ばっかの妊娠、18w1dの日より心を込めて、
産まれる前からあなたのことがだいすきみたいです。
はじめての妊娠・出産安心マタニティブック―お腹の赤ちゃんの成長が毎日わかる!
- 作者: A.Christine Harris,竹内正人
- 出版社/メーカー: 永岡書店
- 発売日: 2006/01/10
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「賢い女は男を立てる」読了
やたら鼻につくタイトルだなぁと思った。
その頃我が家は行き詰まっていて、本書の言葉を借りるなら、「自分自身も自分の結婚も認めることができなくなっていた。」今思えば自尊心をすっぽりとなくしていたのだと思う。
どうにもうまくいかない夫や自分、家のことをネットでちくちくとググっては嘆き、ググっては落ち込んでいた。そんな厄介者に、親切なGoogleさんがあなたにオススメの本!って。もう!気が利き過ぎる世の中だ。お手上げです。
いんちき臭いとしかめっ面でレビューをざっと読み終えれば、もう迷わず購入ボタンをポチッていた。切実。
しかし、手元に届いた頃、夫の使い込みが発覚。時既に遅かったわけで。
ピンクの可愛らしい本を手に、いっときでもこんな本読もうとした自分が情けないし恥ずかしいし悔しいし、読むだけムダだわ!と押入れの奥にピシャリと放り投げたのだった。
何よ「愛されるルール」って。いちいち鼻につく。
それから時は経ち、メルカリに出品できるものはないかと、やれ整理していると、出てきた出てきた、ピンクの可愛らしいこいつ。
あーこんなの買ったわねぇ、あの頃のどこまでも追い込まれていた精神状態を思い出し、あの頃ってもほんの少し前の話なのに、なんだか懐かしくパラパラとめくってみることに。
あらら〜
自分の表せない気持ちやその理由、薄々気づいていた私が犯していた夫への非道な言動の数々が、見事なまでにズバズバと書き出され、思い当たる節があり過ぎた。胸が痛い。
恐れ入りましたわけで、反省の気持ちで、その晩一気に読んだ。
簡単に言えば、いつまでも夫婦いちゃいちゃ暮らすには夫の母親になっちゃイカンってこと。夫をコントロールしようとしないこと。一歩引くこと。ごもっとも!
私はあなたの母親じゃないとはよく聞く台詞だ。逆に僕は君の父親じゃないとはあまり聞かない台詞のように思う。言われたこともない。
父親ってのは、背中をいつか越えたいとか、常に越えたい存在で、誰にとっても頼もしい象徴なのかも知れない。
母親ってそんなに煙たがられる存在なのか?!は置いておいて、男の人は君の父親のように、いや、君の父親を越えるような頼もしい男になりたいのかも知れない。
話はさかのぼって、元々なんでも夫にやってもらう方だった。恋人同士だった頃は、ほんと何にもしないわねとまわりから小言を言われるほど。ニコニコしていれば、自然と夫はなんでもしてくれた。
彼が作るちょっと変な料理も、めっちゃ遠回りだったじゃんってな目的地への道順も、譲り過ぎていつになっても来ない順番も、こんな人もいるんだなと妙に感心し、そのズレとペースは心地よい刺激だったりもした。自分にないものに惹かれる、恋の始まりとしてはオーソドックス過ぎるほど、私はそこに惹かれたはずだった。
なのになのに、それなのに、何故か結婚してからなんでもやるようになり、すぐに私がやった方がいいと思うようになった。
やれる人がやる、これは確かに理想だしベストだと思う。帰りの遅い夫だから私がやらなくては!とも思っている。
私にできることはなんでもしてあげたいと思ってのことだったが、気づけば夫のできることはたいてい私もできるし、私がした方が早いし効率もいいし上手くいくと思うようになっていた。
反射的で喜怒哀楽の忙しい私とは対照的に、マイペースでおおらかな夫。
一緒に暮らすようになって彼のペースに合わせては目的地にたどり着けやしないと、自らハンドルを握り、道なき道を、外の景色を見ることもなく、グングンと走り去って行った。
やっと辿り着いたと思えた場所は不安いっぱいなへき地で、助手席に乗っていたはずの夫は道の駅でソフトクリームでも食べているのだろうか?何故か私、ひとりぼっちだった。途端に怖くなった。
しまった!
気づけば私はすべてに責任を負わなければならないところにひとり暴走して来てしまったのだ。
毎月の支払い、家計のやりくり、急な出費の手配、保険の見直し、マイホームの夢、将来のこと、子供のこと、週末の予定、旅行の予定、町内の行事、いちいち細か過ぎる用事、巻き込まれている友人夫婦の揉め事、お互いの親戚との付き合いや両親へのプレゼント、etc...
それらを私は面倒なこととひとくくりにし、こなそうとしていた。失礼な話だが。
当たり前だけど、ヘロヘロに疲れた。あえなくタイヤはパンクした。
夫は常々言っていた。そんなに無理しなくたっていいんじゃない。ふたりとも初めての結婚で初めてのことばかりだし、上手くいかないのは仕方ないよ。それより今日のお昼は何にする?ってな具合で。
何もしない人の言う台詞か!と思っていた。それに時間ばかり過ぎて、私たちそんなに若くないじゃないかとも。闇雲にどれかひとつでも早急にケリをつけたかった。
しかし、
「家庭では必ずしも有意義な成果を上げる必要はない」らしい。
まして猛スピードで成果を上げようだなんて、これじゃまるで仕事だ。家の中まで効率性を重視した業務のようじゃ、色気も味気もない。昼間も働ているわけで、完全なる過労だ。
何事も過程が楽しくて、成果はオマケみたいなものだった日々を振り返る。時間はかかったけど、結構うまいことやって来たこともある。
何より無意味でくだらないことだけで、愛だの恋だのしてきた。
テレビドラマはいつだってドジでマヌケな主人公が繰り広げる、アホでおバカなエピソードがふんだんに盛り込まれているから面白い。
ハプニングが起きないように先回りし過ぎるのは、その後のドラマチックなドラマを見逃してしまうことにもなる。そもそもハプニングが起こるとも限らない。なんなら先回りしてハプニングを待ちぼうけて、妙な冷や汗をかいても風邪をひくだけ。
あれ?我が家のドラマ、どんどん面白くなくなってない?次週が全然楽しみじゃない。このままじゃ、打ち切りになっちゃう。
ポカーンと口を開き不安いっぱいなへき地で心細くなった途端、頼りなるのは結局夫なのだと気づかされた。
あぁ、ハプニングに立ち向かう夫の勇姿をもう一度見たいと願った。きっと私とは違う、ちょっと可笑しな方法を使うかもしれないけれど。
私がやった方が上手くいくと思っていたことが、上手くいかなかった。
今はそれだけが事実。そう認めたら、なんだか自然とハンドルを握る手を緩めることができた。思っていたよりも簡単に。
あなたにハンドルは任せるわ、外の景色でも眺めていたいの。と、優雅にはいかないけれど、一緒にソフトクリーム舐めながら、地図を開いて、あちこち指を差し合いたい。目的地は変わったっていい。ちょっとかさばる土産話のにひとつやふたつ、諸先輩方に持ち帰って笑ってもらおう。
それからは本書に書かれていることをなるべくそのまま実践するようにしている。自分でしゃしゃり出て考え出さないように。
そして、しないことが増えると、余白はすぐにできた。余白ができると献立作りも一層楽しい。
もちろんまだしくじるし、しゃしゃり出たくなるし、出てしまうのだけれども、気づいたら、謝り、譲り、整える。
自分にもまだ成長する余地があるのかも知れないと思えたら、単純なもので自尊心も不思議と取り戻して来た。
夫に対する見方はパッと変わったし、夫自身もサッと変わったこともあり、それはイコールで私も少し変われたからなんだと思う。相乗効果で、我が家はふたりして機嫌がいい日がつづいている。
そんなわけで、私のひとり劇が終わるのをまったりと待っていてくれた夫のおおらかさに、結局救われる形になった。やっぱりそこに惹かれたんだった。
夫は何事もなかったかのように、運転席へ座るとのんびり発進した。前へ。
サレンダード・ワイフ 賢い女は男を立てる (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)
- 作者: ローラドイル,Laura Doyle,中山庸子
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2007/02
- メディア: 文庫
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好きだ好きだ好きだ、旅行記
こんな寒い冬は熱い愛で温まりたい!
港で噂の「湯を沸かすほどの熱い愛」が観たい!しかし、私の住む群馬県では上映予定がない!
そんなわけで、お隣栃木県は足利市へはるばる出かけることにしたのが旅の始まりで。
欲張ってそのまたお隣の茨城県へも足をのばしちゃおうと盛り上がり、気づけば北関東3県をぐるっとまわる小旅行になった。
なんとなく計画を立て始めるとバレンタインがわりといいタイミングなことに気づき、前日にガトーショコラを焼いた。年に一度のお菓子作り、毎年バタバタとヘタレながらもかれこれ5、6年、いやもう少し長く、健気に続けている。本命はお義父さん。
それはそれは毎年嬉しそうに受け取ってくれ、お義母さんに見つからないようテーブルの下にこっそり隠すんだ。実の父には決して見せることのないようなかわいい笑顔で、かわいい娘を演じてる自分が実に恥ずかしいが、悪くない。
そんなわけで、毎年練習台になってもらっている夫には何年も本命チョコをあげてないことになるのか。今年の誕生日にはケーキでも焼こうかな。
無事、プレゼントを届けることができてホッとしたところで、出発。
最近は映画デートにはまっていて、「怒り」、「ジャニス」、「君の名は。」、「この世界の片隅に」と、旬な映画を2人で観てる。共有できる話題でハイタッチしたり泣けたり揉めたり、むにゃむにゃとディスカッションするのが好きだ。夫はややこしくなってくるとお開きだと仕向けて来るのだが、なにせ私はしつこいので、あのシーンあの台詞が!とか騒ぎ続け、終いにはケンカが始まることもしばしば。
今回はわざわざ観たかった私と、ふんわりついてきた夫の温度差が予想とは逆で、それもまた面白く、ペラペラと話し続け、車はひた走り続けた。
やっと水戸市に入った頃。
夫が突如、「いいこと思いついた!」と言い出し、何かと思えば鹿島臨海工業地帯がたぶん近くにあるはずだと言うじゃないか。無類の工場萌えーな私は即座に連れてってと甘え、真夜中の冒険が始まった。
近いと思っていた工場地帯は、今夜の寝床にしようとしていた道の駅とは逆方向な上、まぁまぁな距離もあり、真っ黒な海沿いの道をまたも、もくもくと走り続けることになった。
満月に近いまぁるい月は、いつ海に落ちてもおかしくないほど低く、どぼんと落っこちたらどうなるのかと、眠たい頭でずっと考えていた。じゅわっと言うのだろうか。それは太陽か。
そろそろかなぁと倒していたシートを起こした矢先に、どーんとこれでもかと現れた工場夜景に思わず息を呑んだ。
これこれこれ、このゾワゾワする感じは何なのか。いまだにわからないけど、このどこからともなくやってくるゾワゾワ感にいつも胸がぎゅーっとなる。
ノスタルジックなその風景は大好きな映画「スワロウテイル」の世界。My wayが流れてる。
何かいろいろ思い出してるような気がするのに、いつも何にも出てはこないんだな。ゴクリとまた何かを飲み込んだ。
静かに興奮し過ぎて、疲れたかな。
心配していた寒さを感じる間も無く、車の荷台で寝袋に包まって2人眠った。相変わらず、車中泊が好きだ。
翌朝、水戸芸術館へ向かう前に昨夜走ったであろう海沿いの道を、今度は青空の下走った。いい感じの公園に車を停めてもらうと、遠くにぼんやり浮かぶ工場地帯。幻みたい。
その海のずっと奥、空との境界線もなくなるほど遠く、その辺りを眺めるのが好きだ。何時間でも見ていられるのってのは嘘だけど、何時間でも見ていたい気持ちになる。四方を山に囲まれた海なし県に生まれ育ち、趣味で山も登るけど、やはり私は海が好きだ。水が好きだ。青が好きだ。海鮮が好きだ。キラキラ眩しかったなぁ。
その後、この旅最終目的地の石川直樹さんの写真展へ。
標高8000mを越える山々にまるで手が届きそうな、ふらっと隣の隣の県に来たはずなのに、それはもう遠くの地へ辿り着いちゃったような、距離を飛び越え、はたまた凍てつくような寒さを、ひたいの汗を拭うような蒸し暑さを、肌で感じまくった。
「雨が降ったら“雨が降った”と書く。物悲しい雨が〜とか今にも世界が終わりそうな雨が〜とかではなく。
自分の主観で目の前の世界をねじ曲げるのではなく、出会ったものを体が反応するままに記録する。」
どこかで読んだ石川さんの言葉そのまんまだ。足し算も引き算もないから、淡々としているのに生々しい。
足し算と引き算を繰り返し、答えが一向に出てないこんがらがった私の頭の中を、パチンっと弾いてくれた。すっきり。ほんと行けてよかった。
そして、いつまでも続きそうな長いドライブの果て、ただいま。
ずいぶん好き勝手に好きなものを詰め込んだ旅だった。付き合ってくれた夫に感謝。
旅はやっぱり好きなものに足が向いてしまうんだね。好きなものだらけの贅沢な旅で、好きなものを再確認した。
次はどこへ行こうかな、どこへ行けるかな、どこへでも行けそうだ。やっぱり私は旅が好きだ。