半人前主婦

帰りの遅い夫を待ちながら、今日も三歩進んで二歩下がる

ノロケ話をひとつ

帰りの遅い夫は帰宅後すでに眠ってしまっている娘を、いつも起こしたくて仕方ない様子。寝たばかりなんだから起こさないでと釘を打ってるから静かにしてるけど、それこそ娘が目を覚ませば喜んで駆けつけている。この温度差ね。
先日もちょっかいを出して、案の定起こして、さらに泣き出した時には、嫌味の小言を一つ食らわせてしまった。
過ごせる時間が少ないのはやっぱりつまらないんだろうな。家族と過ごせる時間が少なすぎる。もらえなかった育休の恨みは大きいようで、最近は職場と仕事に対する愚痴が増える一方で、やや心配になる。主夫になるとか言い出したらどうしよう!

そんなわけで、夫平日休みの日、粉ミルクと哺乳瓶の在り処を確かめると、「1人でのんびり出かけてくれば〜」と半ば強引に追い出された。私への労い3割、残りは私の目の届かないところで思う存分、2人きりになりたいのだろう。実にありがたい。

オムツ替えに着替え、ゲップ出しに鼻や耳の掃除、抱っこ紐の付け方をYouTubeで見たり、次々に育児をマスターし、なんでも楽しそうにするので、やっぱりそれは単純に嬉しいし頼もしい。
「お父さん、オムツ替えなんて一度もしたことなかったよ」と、両家の母から聞かされたので、ズバリ時代は変わったのだ。いつからか抱っこ紐を着けて街を歩く男の人が当たり前になったけど、母の時代はありえなかったそう。
思えば、何故男の人がオムツを替えなかったのだろう?今となってはなんだか不思議な話だ。良い時代なのかも知れない。
こんな時代なので、私はなんでもしてもらうことにしている。とにかく口出し、文句は最小限に抑え、今はお互いのやりたいようにやって、娘を笑かしたいし、自分と違うやり方を知るのはとても勉強になる。

気づけば、私よりお風呂に入れるのも上手になっている気がする。悔しいけど、最新号のたまごクラブを自ら買って帰って来たのは夫だし、ふむふむと研究と勉強に励んだ、努力のたまものか。認めざろうえない。
それでも最終兵器おっぱいには敵わないだろうと見くびっている私と、あれやこれやと娘の気を引くのに翻弄している夫、今後の明暗はいかに!
しかしだな、私よりずっと母性が強い気がして、時々戸惑う。なんだか腹さえ立ってくる。どこかで「一家にお母さんは2人はいらない」って話を聞いたけど、私は一家の大黒柱のお父さんにも向いてないし、これじゃ立場がない。

ノロケてるつもりはないけど、これじゃまるでノロケ話のような話か。

そんなわけで、その日は素直に出かけることにした。
まだ2ヶ月に満たない娘を置いて出かけることに気が引けると思ったけど、外へ出てみたら気持ちよくて、割とすんなりテンションが上がった。BGMに好きな音楽を流すことすら、すっかり忘れていたから。

クリープハイプが「安定した日々の退屈を幸せの呼ぶのです」と歌う。
斉藤和義が「手をつなげば済むことも僕たちはいつでも難しい顔ばかり」と歌う。
プリンスが踊る、ジャニスが叫ぶ。

いろんな歌詞が、いろんな音が、いろんなフィルターを通って、やたらに染みる。何年も前から聞いてきた歌が、初めて聞いた歌のように聴こえてくる。いちいち感傷的に、昔の出来事やそれこそ出産のことを、次から次へと思い出しながら。

段取りが悪かったのでランチは定休日2連ちゃん続きで、昔よく行っていたカレー屋に落ち着いた。
その後、目的地が定まらず、さてどこへ行こう?と車を走らせた。
結果、紀伊国屋で読みたかった雑誌の対談を立ち読みし、気になっていた本のページをさらっとめくりBOOKOFFで欲しかった本が100円だったので買って、TUTAYAでCDを7枚レンタルして、帰った。私のしたいことなんて、たかだかそんなもんだったのか。
体重も戻ったんだから服でも買えばいいと言われたけど、服屋を覗く優先順位はもっと後の方のようだ。
そろそろタイムリミットが近づいている気がして、スーパーで少し豪華な夕飯の買い出しをし、急いで家に帰れば、居間でゴロリと満足そうに2人は眠っていた。
そんなに慌てて帰らなくてもよかったのか。余裕がないのは私だけのようだった。
つい私が居なきゃって思ってしまうけど、親戚のおばちゃんに言われた「みんなで育てようね」のことばを思い出し、気持ちさえあれば母親にしかできないことってそんなにないのかも知れないと思った。
次回があるなら、夫のためにも娘のためにも、自分のためにも、もっと大胆に楽しむことにしよう。

いい気分転換になったし、隠れていた欲求もストレスも見つかって、またこれからがんばりたい。楽しみたい。
何をしていたのか多くは教えてくれなかったけど、「いいとこ取りだから」と謙遜気味に話す夫も、ぐずることもなかった娘との甘い時間にすっかり上機嫌だ。
単純でいい。この感じ、なんかいい感じ。