半人前主婦

帰りの遅い夫を待ちながら、今日も三歩進んで二歩下がる

ぼーっとしなくなった理由

ふらっと立ち寄った喫茶店は時が止まったかのようだった。古びたメニューを眺めていたら、懐かしい気持ちになって、ふと思い出したこと。昔はもっとぼーっとしていたなぁと。

10代の頃に初めて働いた喫茶店はピーク時以外、一人で店をまわすような小さなお店。ぽつりぽつりとお客がたまにやって来るくらいで、ひまな時間がたっぷりあった。
あの頃、あのひまな時間、私は何をしていたんだろう?

何度も拭いたすでにきれいなテーブルをのんびり拭き直し、紙ナプキンをぎゅうぎゅうに補充して回り、それでも時間は余って、窓の外をぼーっと眺めては、早くバイト終わらないかなぁと、そればかり考えていた。好きな人のこと思ったりして。

今だったらバックヤードでこっそりスマホをいじるだろう。
同じように好きな人のことを思うなら、話題のデートスポットを、バレンタインに気を引くレシピを、検索しているだろう。サプライズの企画を集めたサイトはたくさんあって、自分で考えなくても手の込んだ案をすぐに見つけることができる。
そんなことをしていたら、バイトの時間なんてあっという間に終わってしまっただろう。

あの頃だってケータイは持っていたけれど、今とは使い方が違かった。
インターネットを使いこなせるのは一部の得意な人達だけだったし、便利さに慣れるまで、今までのやり方の方が簡単な気がした。
調べごとは辞書を引き、欲しいものは足を使った。写真はカメラで撮ったし、メモは手帳に書いた。そもそもケータイを家に忘れてくることも多かった。“持ってる意味ないね”なんて言い合った。

それから10年と少しで世界は一変した。
インターネットは扱いやすく身近になって、誰でも使いこなせるようになった。隙あらばスマホを触るような生活になった。お風呂やトイレにさえ、スマホを持っていったこと、一度や二度じゃないだろう。
どこに居たって調べごとはすぐに調べられるし、調べたついでにまた新しい調べごとが見つかって、最終的にそんなに知りたくないことまで知ることになっちゃって、頭の中は常にごっちゃごちゃ、前のめり。あれもこれも知りたい。あれとこれは知りたくなかった。
そんな具合で、私は電車に乗ることが少ないけど、電車に乗れば寝ている人を除いて10人中9人がスマホの画面を見つめているのは、よく言う例え話。

コンビニの駐車場でスマホをいじる営業マン、親に迎え来てもらった帰りかな?助手席で買い物待ち中の学生服姿の子の手の中にもスマホ歩きタバコをする人は見なくなったけど、歩きスマホをする人ならそこら中にいる。かく言う私も買ったばかりのコーヒー片手にベンチに腰掛け、スマホのメモにこれを書いている最中で。
わからない言葉だって、すぐに意味を調べられるから、書きたい時にさくさく書ける。確かに便利だ。

なくてもよかったものがなくてはならないものになった。
便利になったから、今更なくなったら、不便だ。
あれ、便利なものって、実は不便なのか?

そう言えば、うちの夫はスマホが流行りだした世代より年が少し上で、元よりアナログな人だから、日頃からスマホをいじる習慣がない。いまだに家に忘れた、車に忘れた、ばかりなので、“持ってる意味ないじゃん”と、たまに腹さえ立つ。
例えば、私だけが寄りたい店へ買い物中、夫は車で待ってることもあるのだけど、買い物から戻ると、車の中でぼーっとしているのだ。もれなくアホ面で。基本こんな調子だ。
逆の場合、私なら迷わずSNSのチェックとか始めるのに。

目に悪いことは間違いないとは言え、スマホをいじり過ぎることが悪いと言われがちな現代で、スマホをいじることがそんなに悪いことなのか、どんな悪いことが起こるのか、はたまた実はいいことなのか、知識が増えるのか、私にはわからない。
って、なんだか途中からスマホについて語り始めて、結局何が言いたいのかもわからなくなってきたけど、要するにスマホは私を、世間を、ぼーっとさせてくれないんだよ!!!って話だ。つい独り言が長くなってしまった。

最近ぼーっとしている人減ったなぁ、なんて思ったわけで。

スマホがなかったら、みんなアホ面でもっとぼーっとしているんだろうと思った。
そのまま口開けて、昼寝始めちゃったりして、そんな世界も悪くないとか、想像してみた。
流行は一周するとは言うけれど、またスマホから離れる時代は来るのだろうか。そんな時代なら、また過ごしてみたい。少しぼーっとしたいんだ、きっと。

人生はあっという間だから、そもそもぼーっとしている時間なんてないのかもしれないけど。