半人前主婦

帰りの遅い夫を待ちながら、今日も三歩進んで二歩下がる

ミニマリストとコレクターの狭間

年内には4年暮らしたこの家を引っ越す予定だ。
気づけばこの家の収納はすっかり満タンになっていた。

我が家はたぶんものが多い。

今時珍しいコレクター気質の夫。今でこそそんなことはできないだろうが、スニーカーを履く用と観賞用と2つ買いたいタイプの人だ。

私はと言えば、兼ねてから乗りたかった断捨離ブームと、長旅から帰国した異様な興奮で、もう何も要らないわー!と、結構な量の本を、あげるなり売るなりして思いっきり手放した時期がある。
しかし、せいせい気持ちよかったのも束の間、何冊もの本を買い戻した。
結果、小さな本棚が1つ増えた。


夫婦揃って定期的にTSUTAYAでレンタルしては泣く「スラムダンク」は、もういい加減全巻揃えた方がいいのではと、もっぱら夫婦会議の議題だ。全31巻!

憧れの松浦弥太郎さんが言う。

“本は読むもの、飾るものではない。読んだら処分。”
「本を所有する“蔵書”という感覚がありません。本棚に飾る、読むべき本をストックする、系統的にそろえていくという主義はありません。本は読むものであって、読んだら役目は終わります。よほどのことがない限り、読み終わったらすぐに処分。人にあげる、寄付する、やり方はいろいろあります。これは物を増やせないための考え方でもあります。」
〜100の基本 松浦弥太郎のベーシックノートより〜

そうなんだよ、読むものであって、集めるものでも飾りでもない。


しかし、大好きなみうらじゅんさんは言う。

――それでもミニマリストには共感できませんか。
だって、何かアイテムがないと、そんなに面白い人間じゃないっていう、自負でもないですけど、大した人間じゃないと思い込んでいますから。バンバン、モノを捨てる人たちは、ありのままがすごいと思っているのかもしれないですね。僕は、たいしたことない人間ですけど、いろいろ面白いモノを買ってきましたから、と生きてきた。そんなにモノをなくして、自分が残る自信がありません。自分を取り巻く世界も含めての自分ですしね。僕は怖くて素っ裸では勝負できません。こっちから見ると、そういう人は自信ありすぎでクラクラします。

みうらじゅんが考えるミニマリスト -- 「ミニマリスト」になりたいわけじゃない -- 朝日新聞GLOBE

まったくもっておっしゃる通りっす。

対照的な2人だけど、BOOKOFFに売り出されてるのは松浦弥太郎さんの本が圧倒的に多い気がするのも、納得かな。


自分の本棚を眺めるのが好きだ。
本棚の前にしゃがみ、あれこれと手を出しては引っ込めて、だらだらと過ごす時間は至福の時に思う。

ただただタイトルが好きだったり、突然手に取りたくなる詩集だったり、自慢の本だったり、思い出があったり、解せないミステリーだったり、積読本だって何十冊とある。

私のちっぽけな世界がぎしぎし詰まった、自意識の塊みたいな、うっとうしさが、心地よい。
そんで、遊びに来た友達が本棚を「面白そう」なんて言ってくれた日には、嬉しくなって、
貸す貸す貸すー!どれでも持ってってー!となるのだ。うざい。

しかし、積読には結構困っておる。
ふとしたタイミングで積読になってしまった本たちには、ほんと申し訳ない気持ちになる。
一気には読めないし、でも、今読みたい旬の本とは違うし、かと言ってむやみに断捨離はできない。やむなく後回し。

話は少しずれるけど、そんな積読についての悩みに、ポジティブな記事を見つけた。

「買った本が積まれた状況は、自分が知りたいことや欲求の鏡だといえます。それが目に入るところにあって、日常的にざっと眺めるだけでも、相当な知的刺激になります。」 

 "積読" は解消の必要なし! 東大教授に学ぶ、"積読" ほんとうの価値。 | コラム

これこれこれ!
結局退屈が苦手なのだろう。いつだって言葉ばかり追っては、刺激を浴びたがる。
私の中の罪の意識が見事に薄れ、いつまでも追っつくことはなくとも、のんびり読んで行こうと思ったわけで。

でもさ、違う、ほんと!
この現代、身の回りをミニマムにすることは健康かも、大事かも、しれないぞ!と、思うわけで。
ものと情報で溢れかえってるって、誰もが思うでしょ。

自分で収集したくせに、ものや情報に振り回されて、パンクすることも多いでしょ。
やっぱり頭も体も持ちすぎれば重くなる。鈍る、しんどい、邪魔。
健康に適した体重があるように、適正な持ち物の量はやはり限られているように思う。

ほんとにほんとにほんとに必要か?と問われれば、
悲しいかな、そうでもないものだらけ。

残酷なニュースもわけわからん騒ぎも誰かんちの不倫もインスタ用の写真も、もう十分でしょ。
増えて欲しくないでしょ。

あの5年は着てないワンピースも、どこで買ったのかも忘れた変な置物も、記念に取ってあるフェスのリストバンドも、たぶんもう出番は終わった。

気づけば好きなものばかりのはずが、なぜか余計なものや不穏な情報にさえ、安心感を覚えたりしてる。
寂しいから?比較したい?刺激不足?

あれ、なんの話だ!ほら、頭の中もごちゃごちゃとしてる証拠じゃないか!

ある程度ごちゃごちゃとものや情報に囲まれてこそ、私は調和が取れ、好奇心も満たされるのかもしれないけど、このバランスがなかなか難しいように思う。
一線超えるとすぐにグラグラと崩れ出し、いとも簡単に心身ともに不調になっていくのだから。

そして、また懲りずに、見切り発車で断捨離もどきを始めてしまうのだろうか。はは。
断捨離にはちゃんとコツとかあるよね、たぶん。
まぁやらしておけばいいかと放っておくことにしたが、そんなことを考えていると、どっちつかず、ミニマリストとコレクターの狭間はツライよ。まったく。

結局いつだって心はとっ散らかったまんまなのだった。ハイ、お手上げ!

はてさて、引越しを機にどっちに転ぶか。
どっちにせよ、少し片付けなくてはならないことに違いはないだろう。
まずは積読の中のあの1冊から手をつけてみることにしよう。