半人前主婦

帰りの遅い夫を待ちながら、今日も三歩進んで二歩下がる

小さなしあわせの焼き鳥

何気ない毎日がしあわせだなんて、ありふれたキャッチコピーはまっぴらごめんだって、八つ当たりな気分になる時が多々ある。何気ないなんて、なんにもないみたいなもんじゃないか。つまらないよ。近頃、そんなボヤッとした日々を送っている気がしてならなかった。

今日、スーパーで買った、もう冷たい焼き鳥を外のベンチに座り、夫と並んで食べた。お昼ごはんを前に小腹が空いてしまった。娘はスーパーの中をウロウロしている内に、抱っこ紐の中でスヤスヤ眠ってしまった。

妊娠する前、大酒飲みだった私とお酒は弱いけど居酒屋のメニューや雰囲気がすきな夫はよく焼き鳥屋に出かけた。
出産後、焼き鳥食べたいね~とよく話しているけど、焼き鳥屋のカウンターに赤ん坊を連れて行けるはずもなく、こうやってスーパーに並ぶ焼き鳥や、たまに出くわす移動販売の焼き鳥屋を見つけては、おやつ代わりに食べている。

今日もそんないつもの何気ない一コマだった。
1本の串を交互に食べて、最後に余った鳥肉をあげるよとか食べていいよとか言い合いながら。夫が自販機で買ってきたのがココアで、そのチョイスないだろうと、クスリ。

雲がふわふわ浮かぶ青い空。
あぁ、いい日だ。
しあわせだなぁ~美味しいなぁ〜こんな日がつづけばいいのになぁ~
なんだろう、理由はわからないけど、あぁ、今日もう十分だ。

たまたま休みだった夫とTSUTAYAへ漫画を借りに出かけたけど、読みたかった漫画は置いてなくて、代わりに読みたかった雑誌を買って、お昼ごはんと夕飯と数日分の食材を買いに向かいのスーパーへ寄って、その後買ったばかりの焼き鳥のパックを開けて食べた。
それだけ。それだけの、何気ないいつもの風景。

しあわせってなんなんだろうね。

その時、気づくかどうかなのか。何をしあわせに感じるかなんて、自分でも意外とわかっていないのかな。
だって、私の毎日って、こんな日ばかりじゃないか。

何気ない毎日の中に、小さなしあわせを見つけられるようになったら、なんだかいくらでも見つかりそうな気がする。
しあわせの基準はそれぞれだけど、案外人ってくだらないことで喜んだり、嬉しかったり、いい気分になれたりするもんだ。

だけど、毎日はほとんど忙しくて、もらったレシートみたいに、その場で確認もしないで丸めてポケットに入れて、洗濯しちゃって、もうそれがなんだったのかもわからなくなった頃に、ボロボロになって出てきて、あーもう!!みたいな気分になって、ポイポイ払って、むしろなかったことみたいにして、
そんな風にぞんざいに、いや、無意識に捨てちゃった、小さなしあわせが、昨日もたくさんあったんだろうなぁとか、しみじみ思った。昨日のしあわせ、ごめん。

煽られてはすぐ大きなことを求め、つらいニュースにばかり敏感になって、なんだなかなぁ~な気分で眠りに就いて、起きれば、また頭の中をごちゃごちゃにして、夫の嫌な癖ばかり目について、娘の泣き声ばかり耳に残り、しあわせのハードルは上がって、それなのに感度はどんどん鈍くなって、
何気ない毎日を雑音の中で暮らしていたら、やっぱりなんにも気づけないまま、1日はつまらなく終わってしまう。なんならマイナスなくらい。

だけど、今日みたいに、誰にもわからないようなちいさなしあわせを、自分の中に見つけられたら、結構いい日に変わる。

両思いがわかった時のしあわせや何か達成した時のような嬉しさとは全然ちがうけど、この小ささなら、どんどん拾って抱えても、1日の負担にならないだろう。眠る前に忘れてもいいし、手放して、また明日も見つければいい。

なんかあたりまえのようなことを言って恥ずかしいけど、大切に思ったから、またいつか読み返せるように日記に残しとこ。気分のいい日に。