半人前主婦

帰りの遅い夫を待ちながら、今日も三歩進んで二歩下がる

丁寧な暮らしや田舎暮らしに憧れて

だけど、私は虫が苦手だし、そんなにタフじゃないし、器用でもないのだから、どうもずいぶんな思い違いをしていたように思う。今となっては。
子どもと暮らすようになって、明らかになってきたいろいろ。

なんでも手作りできちゃうような丁寧な暮らしに憧れたけど、手作りって、そう簡単に出来ることじゃないんだった。
静かな田舎で暮らしたいと思って、ここへ引っ越す前に山の麓で暮らしてみたけど、なにせ夫の帰りが遅いものだから、毎晩心細かったりした。

うん、生意気言ったわ。

好きなことじゃなければやっぱりやらないし、続かない。

やってみたいことはたくさんあるけど、味噌作りも家庭菜園も裁縫も別に好きじゃないんだとわかったら、気が楽になった。
やってはみたいけど、やらないんだもの。

私は美味しそうな天然酵母のパン屋さんを巡ったり、美味しそうな味噌を買って食べるのが好きなんだった。
ごくたまに母に裁縫を教えてもらいながら、チクチクやるけど、それだって布選びと出来上がった物を使う方が好きなんだ。あぁ、なんという思い違い。

近頃はよりやりたいことが絞られてきたせいか、店主のセンスが光る本屋や大きい図書館、個性的な映画館が近くにある暮らしが、改めていいなぁと思っている。

あと、歩いて行ける距離に八百屋と魚屋と肉屋と美味しい定食屋があって、出前をしてくれる蕎麦屋なんてあったりしたら、もう最高だよ。てな具合。

そうすると、必然と都会というか、
(都会って言ってもだ、私の住む県はめちゃめちゃ田舎だから、この時点である意味田舎暮らしの端くれみたいな気もしちゃうんだけど)
田舎ではない、諸々揃っているところで暮らす方が、理想の暮らしに近いんだった。


要は下町だ!
アーケードに小さな商店が並ぶ、あれだ。
アーケード街をぶらぶら買い物して帰る、あの感じ。車なしでは暮らせない私の住む県では、なんだか贅沢に思うんだよね。


やっぱり思い出すのは、月桂冠のCMか。

youtu.be

 

初めて観た時のなんとも言えぬ幸福感は、何年も経った今でも、胸をいっぱいにする。2005~2006年頃か、まだハタチそこらのコギャルみたいだった私が、世界の片隅で暮らす何者でもない夫婦の小さな暮らしに、心奪われたんだ。何にもなれないような、でも、何かいいもの見つけてしまったような気がしたんだ。

住んでみたい町の景色に家族3人の姿を浮かべて、“んー悪くない悪くない”と繰り返し、ニヤニヤしている。もれなくBGMには「のうぜんかつら」が流れていて。


あ!でも、海なし県で生まれ育ったので、海の近くで暮らしたい憧れはやっぱりある。それも日本海より、爽やかな葉山あたりだな、はは。
南の小さな離島もいい。うん、海はいい。海があれば、ネットで本買うんでもいいや。あれ。
ま、夫が今の仕事をがんばってくれているうちは夢みたいな話だから、日々妄想して楽しんでいるに過ぎない、非現実的な話だけど。

最近はつい安定ばかり考えてしまうけど、気持ちよく暮らせたら、少しくらい不安定だって、楽しめそうだ。
ぼちぼち、いい塩梅で、いい湯加減で。

はて、5年後、10年後はどこでどんな暮らしをしているんだろうな。

 

 

 

【3ヶ月】もうすぐ4ヶ月の娘の成長記録と日々の様子

単純な話だけど、娘と暮らし始めて笑顔が増えた。圧倒的にだ。これは素晴らしいこと、この上ない。すごい。
私が微笑みかければ娘がにっこり、娘が微笑むから私はにっこり。もうエンドレス。
と、同時に夫に対して、もうずいぶん前から満面の笑みで微笑みかけたりなど、していないことに気づいてしまった。あらら。

お宮参りにお食い初め、三ヶ月健診も無事終えたので、ホッとひと段落かな。
娘の成長記録と日々の様子でも残しておこう。

・両手を胸の前というか、顔の前で組めるようなって以来、ガラガラなどのおもちゃよりも自分の手を使って遊ぶのが楽しい様子。

・指しゃぶりも小指以外、左右どの指もしゃぶりまくる。中指と薬指を突っ込んで、なんともファンキーな指しゃぶりをしていることもあり、面白い。

・穴の空いたカラフルなボールも掴みやすいようで、気に入っている。

・人形系のおもちゃは基本首根っこを持ってかぶりつく。

・テレビをつけると子ども番組でもニュース番組でも、じーっと眺めている。

ザブングル加藤さんの「悔しいです」の顔をたまにして、これがたまらなくかわいいので、何度もさせたいのだけど、なかなかしてくれない。

・お風呂は相変わらず好きなようで、湯船の中では背泳ぎの体勢で下からお尻と背中を支え、頭はお湯に浸け、プカプカ浮いて遊んでいる。どんぶらこ~と揺らすと喜ぶ。いつかやると思っていたけど、調子に乗って大きく揺らしたら、お湯の中に顔を入れてしまった。一瞬の出来事に泣くタイミングを逃したのか、唖然としていた。

・最近図書館で絵本を借り始めた。1日に何度か読み聞かす。絵本を広げるとわかるのか、嬉しそうな顔をする。興味を示す本と示さない本の差がはっきりしていて、私がすきな淡い色の絵より、原色のハッキリした絵に食いつく。

・手足をバタバタと元気に動かす。足は天井に向けて思いっきり上げる。ずいぶん高く上がるので、そのうち自分の手で掴めるようになりそうだ。

・すぐにでも寝返りしちゃいそうだと思っていたけど、まだまだかな。

・うつ伏せの体勢が好きなようで、くるんとうつ伏せにして練習中。視界が変わるのが楽しいのか、わりと長時間ご機嫌。目の前におもちゃを置くと取りたそうに拳に力を入れているのがわかるけど、まだ手は出せない模様。首はしっかり上げる。

喃語というのか?アーとかウーとか以外にもウニャーとかホゲーとかガーとかオーケーとかイェーイとか、とにかくよく喋る。声も大きい。

・抱っこ紐のインサートを外しても大丈夫になった。

・私のあぐらをかいた足の中にちょこんと座らせられるようになった。

・支えがなくても首はほとんどぐらつかなくなったので、抱っこがずいぶん楽になった。しかし、重い。

・授乳回数が少ないのではと助産師さんに指摘されたけど、小児科の先生からは体重もしっかり増えているので、無理に授乳しなくても、お母さんの考えでいいと言われた。

・生活リズムができてきたのか、毎朝7時頃に目を覚まし、昼寝はだいたい午前1回、午後1~2回(時間と長さはバラバラ)。夜は8~9時に寝て、12時前後に起こして授乳すると、翌朝7時までぐっすり。夜泣きはこれからか?

・相変わらず眠り姫だけど、日中は起きている時間がだいぶ増えた。

・こないだまであった黄昏泣きがいつのまにかなくなった。

・おとながご飯を食べているとじっと観察している。

・夫のヒゲが気になるのか、顔を近づけるとあご髭をジョリジョリ触る。姪は怖がってよく泣いていたけど、嫌いではなさそう。

・乗せると即寝だったチャイルドシートを嫌がるようになった。まだ寝たくないのに寝かされてしまうのが不満なのか、5分くらいギャン泣きした末、やっぱり寝てしまう。

こうやってずらーっと箇条書きにしてみると、どんどん成長しているし、みるみるうちに変化していくなぁとしみじみ。できなかったことができるようになって、大丈夫だったことがダメになったのも、いろんなことを覚えてきた証か。泣ける。
ちいさなちいさな赤ちゃんではなくなっていくんだ。
嬉しさと、少しばかりの寂しさも感じ、あぁ、君のスピードについていくのに、母は毎日必死だよ。

そんな私と言えば、
・毎日パンばかり。体重はきれいに落ちたのに、お腹が出てきた。

・今のところ完母。

・夕飯の準備が早くなった。

・娘のおかげで早起きができるようになった。

・お風呂で泣かれてもテンパらなくなった。

・ちょこちょこ読みで読書ができるようになった。嬉しい。

うむ、母の成長は子どものようにはいかないね。

仲良くなったママに誘われて支援センターなる憩いの場に行ってみたら、案外楽しかったので、これからはちょこちょこ出かけてみようと思う。暖かいというか、一気に暑くなってきたので、ショッピングモールじゃなくて外へお出かけしたい。GWの旅行はやめたけど、もう少ししたら近場に一泊旅行も行きたいな。

もうじき離乳食が始まるんだな、そしたら季節はすぐ夏さ。ゴロンゴロン寝返りし始めるかもしれないし、のんびり大の字で寝ているかもしれない。

毎日「今日が1番かわいい」と“かわいい”が更新されていく。
いつかその“かわいい”もストップしてしまうのか、そうだよな、50歳のうちのかわいい娘…とはいかないもんな。いやいや、わかんないぞ。

 

 

流れるような育児の悩み

「手のかからない子」「お母さん思いのいい子だね」と、言われれば嫌な気もしないけど、「ラクそうでいいね」っと言われれば、ムッとくる。
初めての子育てだし、比べる姉妹もいないのでわからないけども、でも、たぶん手のかからない方なんだと、私も思っている。今のところの話だけど。
美容師さんや友だちから、出産後バッサリ切るだろうと断言されていた、洗うのも乾かすのも面倒な胸まですっぽり隠れるロングヘアーを、未だ保持している余裕こそが、それを物語っているのか。
単に美容院に行く時間がないのもあるけど。

そうは言っても、ギャンギャン泣くし、夕方になれば黄昏れて泣くし、しくしくと長期戦の時もあるし、顔を真っ赤にして怒るし、手足バタバタさせて何かを必死に訴えてくるし、私の遊び方をつまらなそうにシラけた顔で見てくるし。いや、睨んでさえいる。すまん。
でも、夜はよく眠るし、昼もよく眠るし、おっぱいはよく飲むし、よく笑う。

確かに、何をしても泣き止まない、泣き声で気が狂いそうだってことは、今までに一度もない。
知り合った月齢の近い子を持つお母さんが、
「これじゃダメだなぁと思ってるんだけど、私の腕だけであやすのは限界で、家と車とを行き来する生活だ。(チャイルドシートに乗せるとすぐ寝るので)」と、しょんぼり嘆いていた時は、同じ新米母として同情した。

今度は逆に「今がラクだと、これからが大変になるよ〜」と、どこからともなく脅される。世間では子育てはそう言う順番らしい。
えーん!わけもなく心配になるじゃないか。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」とはよく言ったもんだ。いや、若くはないけども。母歴的には若くて青い。
どこに行けば買えるのだ!それ全部、私が買い占めてやる。

今までだったらラクなことって、ラッキーだった。学校の掃除当番や生理痛、ラクな方がいいだろう。でも、今はなんだか素直に喜べない。どんなに大変で苦労してもいいから、娘には元気で健康に育って欲しい。
いや、好きでラクしているわけではない。別にラクなことが悪いわけでもない。てか、そもそも決してラクなわけではないのだ!
イコールじゃないことくらい、わかっているのに、止まらない思考。

そんな新米母の呟きがブツブツとうるさくならぬよう、新米父は努めて明るく振る舞う。
「寝る子は育つ」「欲求が満たされている証拠だよ」
うん、私もそう思っているんだよ。
それに、何より娘の性格もペースも尊重したい。

最近はこうやって、つい比べてしまうことに罪悪感を感じ、恥じている。ちっさいおとなだなぁと。
物心ついて自分で自分のことを誰かと比べるんだったらいいんだ、あの子より私はこうだとか、あの子のあんなところが羨ましいとか、散々通ってきた道。
おおいにやってくれ!比べて比べて、「比べても仕方ない」といずれ気づくだろう。

けど、娘はもう一人の人間だから。
私が自分の所有物のように、誰かと娘を比べてはいけない。

あれ、「比べても仕方ない」は通り過ぎてしまったのか。
私もまた娘といっしょに、迷子になりながらそこへ歩むのか。いつか辿り着くのかな。まだまだ先は遠い気がしてしまう。

いよいよ面倒くさくなって、「“普通”が一番」って、決まり文句がやってきて、プツンと強引に思考停止。〜の繰り返し。はぁ、疲れるぜ。

だけど、簡単に“普通”と言うけれど、一体全体普通ってなんなんだ?!
そう大人に訴え、自分で考え、結局答えなどまったく見つからなかったはずじゃないか。それなのに、ここへ来て、また“普通”ってのに振り回されるなんて、なんだか情けない話だ。“普通”って雰囲気でしょう。味も匂いもない、空気みたいなやつでしょう。そんなの誰にも測れやしない。
それに自分と言えば、そもそも“普通”ってヤツを散々嫌って生きてきたじゃないか。人と違くなりたいって、なんだかギザギザに尖ってきたじゃないか。棚に上げて、そりゃないぜ。

でも、ヨシタケシンスケさんの育児イラストエッセイにもあったんだ。
ー若い頃、あんなに「人と同じこと」を嫌っていた私たちなのに
こんなに「同じでありたい」と願うことになるなんて。
「みんなと同じであってほしい」
自分のことを棚に上げて、勝手なもんです。ー

見事、その通りだった。
兎にも角にも「ウチもそうだよ」って、言われたい。うちもよく寝るよとか、うちも全然寝てくれないよとか。「いっしょだよ」って。
ラクな時もあれば手がかる時もある、みんなそうなんだもの、きっと。

あと、親のキャパ的に、「コイツ(私)にはこれ以上(育児)は無理だろう」って娘に気を使われてるんじゃないか、なんて考えたりもしてみた。そのうちこんなこと思ってたなんて!と笑えないほど、大変になるかもしれないね。

そう言えば、先日行った市の集団検診。
助産師さんから「きれいなロングヘアーね」と言われ、とっさに「ありがとうございます」なんて返したけど、これって嫌味だったの?って、ふつふつ思い返している。
第一にまったくきれいでもサラサラでもないのだから。切るつもりでいたので、毛先は痛みきったまま、ただ長いだけだもの。これもそのうち手に負えなくなって、ショートヘアにしちゃうかもしれないね。夏になるし。

そのうちそのうち、あれもこれも今そうじゃないだけの流れるような育児の悩みかな。

 

 

ぼーっとしなくなった理由

ふらっと立ち寄った喫茶店は時が止まったかのようだった。古びたメニューを眺めていたら、懐かしい気持ちになって、ふと思い出したこと。昔はもっとぼーっとしていたなぁと。

10代の頃に初めて働いた喫茶店はピーク時以外、一人で店をまわすような小さなお店。ぽつりぽつりとお客がたまにやって来るくらいで、ひまな時間がたっぷりあった。
あの頃、あのひまな時間、私は何をしていたんだろう?

何度も拭いたすでにきれいなテーブルをのんびり拭き直し、紙ナプキンをぎゅうぎゅうに補充して回り、それでも時間は余って、窓の外をぼーっと眺めては、早くバイト終わらないかなぁと、そればかり考えていた。好きな人のこと思ったりして。

今だったらバックヤードでこっそりスマホをいじるだろう。
同じように好きな人のことを思うなら、話題のデートスポットを、バレンタインに気を引くレシピを、検索しているだろう。サプライズの企画を集めたサイトはたくさんあって、自分で考えなくても手の込んだ案をすぐに見つけることができる。
そんなことをしていたら、バイトの時間なんてあっという間に終わってしまっただろう。

あの頃だってケータイは持っていたけれど、今とは使い方が違かった。
インターネットを使いこなせるのは一部の得意な人達だけだったし、便利さに慣れるまで、今までのやり方の方が簡単な気がした。
調べごとは辞書を引き、欲しいものは足を使った。写真はカメラで撮ったし、メモは手帳に書いた。そもそもケータイを家に忘れてくることも多かった。“持ってる意味ないね”なんて言い合った。

それから10年と少しで世界は一変した。
インターネットは扱いやすく身近になって、誰でも使いこなせるようになった。隙あらばスマホを触るような生活になった。お風呂やトイレにさえ、スマホを持っていったこと、一度や二度じゃないだろう。
どこに居たって調べごとはすぐに調べられるし、調べたついでにまた新しい調べごとが見つかって、最終的にそんなに知りたくないことまで知ることになっちゃって、頭の中は常にごっちゃごちゃ、前のめり。あれもこれも知りたい。あれとこれは知りたくなかった。
そんな具合で、私は電車に乗ることが少ないけど、電車に乗れば寝ている人を除いて10人中9人がスマホの画面を見つめているのは、よく言う例え話。

コンビニの駐車場でスマホをいじる営業マン、親に迎え来てもらった帰りかな?助手席で買い物待ち中の学生服姿の子の手の中にもスマホ歩きタバコをする人は見なくなったけど、歩きスマホをする人ならそこら中にいる。かく言う私も買ったばかりのコーヒー片手にベンチに腰掛け、スマホのメモにこれを書いている最中で。
わからない言葉だって、すぐに意味を調べられるから、書きたい時にさくさく書ける。確かに便利だ。

なくてもよかったものがなくてはならないものになった。
便利になったから、今更なくなったら、不便だ。
あれ、便利なものって、実は不便なのか?

そう言えば、うちの夫はスマホが流行りだした世代より年が少し上で、元よりアナログな人だから、日頃からスマホをいじる習慣がない。いまだに家に忘れた、車に忘れた、ばかりなので、“持ってる意味ないじゃん”と、たまに腹さえ立つ。
例えば、私だけが寄りたい店へ買い物中、夫は車で待ってることもあるのだけど、買い物から戻ると、車の中でぼーっとしているのだ。もれなくアホ面で。基本こんな調子だ。
逆の場合、私なら迷わずSNSのチェックとか始めるのに。

目に悪いことは間違いないとは言え、スマホをいじり過ぎることが悪いと言われがちな現代で、スマホをいじることがそんなに悪いことなのか、どんな悪いことが起こるのか、はたまた実はいいことなのか、知識が増えるのか、私にはわからない。
って、なんだか途中からスマホについて語り始めて、結局何が言いたいのかもわからなくなってきたけど、要するにスマホは私を、世間を、ぼーっとさせてくれないんだよ!!!って話だ。つい独り言が長くなってしまった。

最近ぼーっとしている人減ったなぁ、なんて思ったわけで。

スマホがなかったら、みんなアホ面でもっとぼーっとしているんだろうと思った。
そのまま口開けて、昼寝始めちゃったりして、そんな世界も悪くないとか、想像してみた。
流行は一周するとは言うけれど、またスマホから離れる時代は来るのだろうか。そんな時代なら、また過ごしてみたい。少しぼーっとしたいんだ、きっと。

人生はあっという間だから、そもそもぼーっとしている時間なんてないのかもしれないけど。

 

 

 

ノロケ話をひとつ

帰りの遅い夫は帰宅後すでに眠ってしまっている娘を、いつも起こしたくて仕方ない様子。寝たばかりなんだから起こさないでと釘を打ってるから静かにしてるけど、それこそ娘が目を覚ませば喜んで駆けつけている。この温度差ね。
先日もちょっかいを出して、案の定起こして、さらに泣き出した時には、嫌味の小言を一つ食らわせてしまった。
過ごせる時間が少ないのはやっぱりつまらないんだろうな。家族と過ごせる時間が少なすぎる。もらえなかった育休の恨みは大きいようで、最近は職場と仕事に対する愚痴が増える一方で、やや心配になる。主夫になるとか言い出したらどうしよう!

そんなわけで、夫平日休みの日、粉ミルクと哺乳瓶の在り処を確かめると、「1人でのんびり出かけてくれば〜」と半ば強引に追い出された。私への労い3割、残りは私の目の届かないところで思う存分、2人きりになりたいのだろう。実にありがたい。

オムツ替えに着替え、ゲップ出しに鼻や耳の掃除、抱っこ紐の付け方をYouTubeで見たり、次々に育児をマスターし、なんでも楽しそうにするので、やっぱりそれは単純に嬉しいし頼もしい。
「お父さん、オムツ替えなんて一度もしたことなかったよ」と、両家の母から聞かされたので、ズバリ時代は変わったのだ。いつからか抱っこ紐を着けて街を歩く男の人が当たり前になったけど、母の時代はありえなかったそう。
思えば、何故男の人がオムツを替えなかったのだろう?今となってはなんだか不思議な話だ。良い時代なのかも知れない。
こんな時代なので、私はなんでもしてもらうことにしている。とにかく口出し、文句は最小限に抑え、今はお互いのやりたいようにやって、娘を笑かしたいし、自分と違うやり方を知るのはとても勉強になる。

気づけば、私よりお風呂に入れるのも上手になっている気がする。悔しいけど、最新号のたまごクラブを自ら買って帰って来たのは夫だし、ふむふむと研究と勉強に励んだ、努力のたまものか。認めざろうえない。
それでも最終兵器おっぱいには敵わないだろうと見くびっている私と、あれやこれやと娘の気を引くのに翻弄している夫、今後の明暗はいかに!
しかしだな、私よりずっと母性が強い気がして、時々戸惑う。なんだか腹さえ立ってくる。どこかで「一家にお母さんは2人はいらない」って話を聞いたけど、私は一家の大黒柱のお父さんにも向いてないし、これじゃ立場がない。

ノロケてるつもりはないけど、これじゃまるでノロケ話のような話か。

そんなわけで、その日は素直に出かけることにした。
まだ2ヶ月に満たない娘を置いて出かけることに気が引けると思ったけど、外へ出てみたら気持ちよくて、割とすんなりテンションが上がった。BGMに好きな音楽を流すことすら、すっかり忘れていたから。

クリープハイプが「安定した日々の退屈を幸せの呼ぶのです」と歌う。
斉藤和義が「手をつなげば済むことも僕たちはいつでも難しい顔ばかり」と歌う。
プリンスが踊る、ジャニスが叫ぶ。

いろんな歌詞が、いろんな音が、いろんなフィルターを通って、やたらに染みる。何年も前から聞いてきた歌が、初めて聞いた歌のように聴こえてくる。いちいち感傷的に、昔の出来事やそれこそ出産のことを、次から次へと思い出しながら。

段取りが悪かったのでランチは定休日2連ちゃん続きで、昔よく行っていたカレー屋に落ち着いた。
その後、目的地が定まらず、さてどこへ行こう?と車を走らせた。
結果、紀伊国屋で読みたかった雑誌の対談を立ち読みし、気になっていた本のページをさらっとめくりBOOKOFFで欲しかった本が100円だったので買って、TUTAYAでCDを7枚レンタルして、帰った。私のしたいことなんて、たかだかそんなもんだったのか。
体重も戻ったんだから服でも買えばいいと言われたけど、服屋を覗く優先順位はもっと後の方のようだ。
そろそろタイムリミットが近づいている気がして、スーパーで少し豪華な夕飯の買い出しをし、急いで家に帰れば、居間でゴロリと満足そうに2人は眠っていた。
そんなに慌てて帰らなくてもよかったのか。余裕がないのは私だけのようだった。
つい私が居なきゃって思ってしまうけど、親戚のおばちゃんに言われた「みんなで育てようね」のことばを思い出し、気持ちさえあれば母親にしかできないことってそんなにないのかも知れないと思った。
次回があるなら、夫のためにも娘のためにも、自分のためにも、もっと大胆に楽しむことにしよう。

いい気分転換になったし、隠れていた欲求もストレスも見つかって、またこれからがんばりたい。楽しみたい。
何をしていたのか多くは教えてくれなかったけど、「いいとこ取りだから」と謙遜気味に話す夫も、ぐずることもなかった娘との甘い時間にすっかり上機嫌だ。
単純でいい。この感じ、なんかいい感じ。

暮らし始めて

里帰りから戻った。

育休とは呼べないほどわずかな休みを、それでも無理矢理会社から取った夫と、ほんの数日だけど、娘を挟んでベタベタと過ごした。
抱っこ紐もベビーカーデビューもいちいちお祭り騒ぎだ。バシャバシャとほぼ同じ顔の娘の写真を撮りまくる私たちの姿はバカみたいだ。可愛い我が子を前に、親なんてみんな、ほとんどバカみたいなんだ。

そんな3人で過ごす休みはあっという間に終わり、夫は泣く泣く仕事へ行ってしまった。これから1日の大半を2人で過ごすことになるのか。どんな毎日になるのだろうか。とりあえず、ずいぶん疲れたけど、無事に1週間楽しく過ごせた。(お風呂を除けば)

SNSチェックもしてない。むしろPCすら開いてないので、メールは何百通と溜まったままだ。オリンピックも見ないまま終わった。あ、ハーフパイプだけ少し見た。歩夢くん、かわいいなぁ。


世間の音が届かない。
少し静かでさみしい気もするけど、そのかわりに百面相の娘が我が家を明るくしてくれる。泣き出したかと思えば笑い出し、笑ってたのに突然泣き出す。飽きることがない。

ことばが話せない今、こころの中を母であり大人でありことばをコミュニケーションツールにする私は、どれだけ想像できるだろうか。集中できる日もあれば、空振り続きの日ももちろん。


とりあえず里帰りから帰ったので、片付けたい家のことが山にあるのだけど、なかなかやりきれないから、なんでもよくなってしまった。カラフル過ぎる赤ちゃんグッズが散乱している部屋を一刻も早く片付けたかったはずなのに、もうどうでもよくなってきてしまった。
のびきったラーメンも冷めたスープも別に不味くない。入るお店も変わったし、ゆっくり安全運転、今はどこへ行くにも娘が最優先だ。
何をするにも今までの3倍、いや5倍?は時間がかかるから、1日が一瞬で終わる。
だから、すべてはできるところまで。
育児のストレスで上位に上げられる、「最後までやりきれない」家事に始まり、例えば趣味の読書や自分のお風呂。
これからヒシヒシと痛感させられそうだけど、こだわりはどんどん捨ててしまえればいいよね。そんなに大層なこだわりなど元々ないのだから、抜けるところは手を抜いて、宅配ピザだっていいじゃないか。変に神経を使い過ぎては、身が持ちそうにないもの。
ある意味生活がシンプルになりそうだ。

家事なんてこの先飽きるほどできるから、
本だってこの先いくらでも読めるから、
大人のごはんなんて一食くらい抜いたって倒れやしないから、
洗濯物が少し溜まったって着る服に困ることはないから、
娘といっしょに昼寝しちゃおう、それがいい。

まぁそうは余裕気に言ってみたものの、「なーんもできない」は大袈裟だけど、結構ほんとになんにもできないのだ。自分の都合では。
やっと寝かしつけた娘が腕の中、お腹がぎゅるぎゅる痛かったって、いったん我慢して、波が去ってくれることを静かに祈ってしまうもの。そら、便秘にもなる。

だから、日々小さなやりきれそうなことをメモして、今週のやりたいことリストを作り、やりきった満足感を味わうことにした。

例えば、
・冷蔵庫整理の献立を考える
・スニーカーを一足磨く
・あれとこれをメルカリに出品する
・食べてみたかったお菓子を取り寄せる
・休日に行きたいお店と見たいものを書き出す
BOOKOFF行きの本をまとめる
と、こんな具合だ。

大物で言えば、後回しにすると手遅れになりそうな、撮ったまま眠っている写真たちのアルバム作りを少しずつ始めたい。店頭に行かなくても、今ならネットで現像も頼めるし、のんびり〜だけど着実にやりたいことの一つだ。
あと落ち着いたら、髪の毛もさっぱり切ってしまいたいぜ。

そんなわけで、新しい暮らしが始まった。それも、ばかりだ。
まだリズムが掴めていないから、毎日めちゃくちゃだけど、この2ヶ月でずいぶん気が長くなった。

そして、今まで「夫婦水入らず」だった出来事を、夫が「家族で」と言い換えたのが、なんだか新鮮で。そんな暮らしが始まった。
これからは何をするにもどこへ行くにも家族3人なんだね。初めてすること、初めて行く場所、お祭り騒ぎはまだまた続きそう。



誕生とそれから

病院を一歩出ると冷え切った冬の空気とキラキラした日差しに、しかめっ面の我が子。やっと退院の日がきた。
ようこそこの世へ。ようこそ我が家へ。

私もしばらくぶりにシャバの空気を吸って、あぁ生きてるぞ、生き返ったぞと何故か思ったりした。病院内はいつだって一定の暖かい温度に保たれていて、異空間だったように思う。

実家に着くとさっそくオムツ替え、そしてまだ慣れないおっぱいをせがまれた。
始まった!授乳とオムツ替えをひたすら繰り返す毎日が。

看護婦さんから「母乳の悩みは先が長いから、出ない人はつらいのよ」と聞かされ、
その点あなたは無問題!のお墨付きをもらった。ありがたいことに母乳の出はすこぶるいい、絶好調だそう。
完母だと預けられないと聞くし、なんとなーく母乳とミルクの混合でいいだろうと考えていたのだけど、ミルクをあげる隙なくお乳は作られてくもんで、どんどん飲んでもらわなくてはならない。入院中こそたまにあげていたミルクの出番は必然となくなった。

また熱を持ってぱんぱんに膨らんだおっぱいがズキズキ痛み出した。
そんな頃合いを見計らってか、口をパクパクし始め、仏頂面でおっぱいに食らいつく我が子。
空っぽになっていくおっぱい。
お腹が満たされた様子の我が子。

次第に私の痛みも和らぎ、我が子はすやすやと眠り始める。
あぁ、私たち、離れられない運命なんだ。
この1ヶ月、ほぼ24時間、片時も離れることなく、隣に、腕の中にいる。
でも、考えてみれば、生まれる前、妊娠中はもっと近く、一心同体のようだったわけで。

そっか、生まれたあとは、離れてく一方なんだった。

やっとこの手に抱けたのに、会えたのに、なんだか胸が締め付けられる思い。

本当は私たち、離れていく運命なんだ。
いっそのこと、どこまでも遠くへ遠くへ、行っておくれ。まだ先のことをこれでもかって大袈裟にセンチメンタルに、抱えて愛おしむ。


まぁそれにしても眠い。

このかわいい寝顔で寝不足の疲れもぶっ飛ぶぜってほど若くないから、家族にイライラをぶつけて過ごしている。これぞ里帰りの特権か。
奇跡の出産を期に改めて母親に感謝!と涙しつつも、偉大なる母を前に、母になったばかりのひよっこな私は、いとも簡単に子どもに戻ってしまうんだった。いつまでたっても子ども、この関係は一生変わらないだろう。母業は一生つづくってことか。怖ろしや。
おかげさまで、迷惑な話だけど、産後うつみたいな気分にならずに育児がやれている。

それでも、きつい!さむい!と地団駄を踏みたくなる夜もある。
「赤ちゃんが寝ていても2〜3時間おきに起こして、ちゃんとおっぱいあげましょう」「母乳は消化がいいから、お腹が空くのよ」と、病院でしきりに言われたけど、
いやいや〜お腹が空いたら自ら起きて泣いてせがむだろうよ。まず眠くて寝てるんだろ、寝かしてやろうよ。
と、あと30分だけ!のアラームをかけ直し、布団に潜るわけで。
結局30分経ったって、寒さも眠気もさして変わらないまま、今度こそ腹をくくっておっぱいを出すんだった。

兎にも角にも授乳とオムツ替えを繰り返して繰り返して、夜は明け、朝が来て、また夜になる。
それだけのように思えても、日に日にほっぺたは膨らみ、機嫌悪く真っ赤な顔をしてみせたり、はたまた大人顔負けの大きなオナラをしてくれたり、ぐんぐんと成長してるみたいだよ、我が子。うれしいな。
親子仲良く、どうぞ私を一人前の母にしておくれ。