半人前主婦

帰りの遅い夫を待ちながら、今日も三歩進んで二歩下がる

「賢い女は男を立てる」読了

やたら鼻につくタイトルだなぁと思った。

 

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その頃我が家は行き詰まっていて、本書の言葉を借りるなら、「自分自身も自分の結婚も認めることができなくなっていた。」今思えば自尊心をすっぽりとなくしていたのだと思う。

どうにもうまくいかない夫や自分、家のことをネットでちくちくとググっては嘆き、ググっては落ち込んでいた。そんな厄介者に、親切なGoogleさんがあなたにオススメの本!って。もう!気が利き過ぎる世の中だ。お手上げです。

いんちき臭いとしかめっ面でレビューをざっと読み終えれば、もう迷わず購入ボタンをポチッていた。切実。

しかし、手元に届いた頃、夫の使い込みが発覚。時既に遅かったわけで。
ピンクの可愛らしい本を手に、いっときでもこんな本読もうとした自分が情けないし恥ずかしいし悔しいし、読むだけムダだわ!と押入れの奥にピシャリと放り投げたのだった。

何よ「愛されるルール」って。いちいち鼻につく。

 

それから時は経ち、メルカリに出品できるものはないかと、やれ整理していると、出てきた出てきた、ピンクの可愛らしいこいつ。
あーこんなの買ったわねぇ、あの頃のどこまでも追い込まれていた精神状態を思い出し、あの頃ってもほんの少し前の話なのに、なんだか懐かしくパラパラとめくってみることに。

あらら〜

自分の表せない気持ちやその理由、薄々気づいていた私が犯していた夫への非道な言動の数々が、見事なまでにズバズバと書き出され、思い当たる節があり過ぎた。胸が痛い。

恐れ入りましたわけで、反省の気持ちで、その晩一気に読んだ。

簡単に言えば、いつまでも夫婦いちゃいちゃ暮らすには夫の母親になっちゃイカンってこと。夫をコントロールしようとしないこと。一歩引くこと。ごもっとも!

私はあなたの母親じゃないとはよく聞く台詞だ。逆に僕は君の父親じゃないとはあまり聞かない台詞のように思う。言われたこともない。
父親ってのは、背中をいつか越えたいとか、常に越えたい存在で、誰にとっても頼もしい象徴なのかも知れない。

母親ってそんなに煙たがられる存在なのか?!は置いておいて、男の人は君の父親のように、いや、君の父親を越えるような頼もしい男になりたいのかも知れない。

 

話はさかのぼって、元々なんでも夫にやってもらう方だった。恋人同士だった頃は、ほんと何にもしないわねとまわりから小言を言われるほど。ニコニコしていれば、自然と夫はなんでもしてくれた。
彼が作るちょっと変な料理も、めっちゃ遠回りだったじゃんってな目的地への道順も、譲り過ぎていつになっても来ない順番も、こんな人もいるんだなと妙に感心し、そのズレとペースは心地よい刺激だったりもした。自分にないものに惹かれる、恋の始まりとしてはオーソドックス過ぎるほど、私はそこに惹かれたはずだった。
なのになのに、それなのに、何故か結婚してからなんでもやるようになり、すぐに私がやった方がいいと思うようになった。

 

やれる人がやる、これは確かに理想だしベストだと思う。帰りの遅い夫だから私がやらなくては!とも思っている。
私にできることはなんでもしてあげたいと思ってのことだったが、気づけば夫のできることはたいてい私もできるし、私がした方が早いし効率もいいし上手くいくと思うようになっていた。

反射的で喜怒哀楽の忙しい私とは対照的に、マイペースでおおらかな夫。

一緒に暮らすようになって彼のペースに合わせては目的地にたどり着けやしないと、自らハンドルを握り、道なき道を、外の景色を見ることもなく、グングンと走り去って行った。

やっと辿り着いたと思えた場所は不安いっぱいなへき地で、助手席に乗っていたはずの夫は道の駅でソフトクリームでも食べているのだろうか?何故か私、ひとりぼっちだった。途端に怖くなった。

しまった!
気づけば私はすべてに責任を負わなければならないところにひとり暴走して来てしまったのだ。
毎月の支払い、家計のやりくり、急な出費の手配、保険の見直し、マイホームの夢、将来のこと、子供のこと、週末の予定、旅行の予定、町内の行事、いちいち細か過ぎる用事、巻き込まれている友人夫婦の揉め事、お互いの親戚との付き合いや両親へのプレゼント、etc...
それらを私は面倒なこととひとくくりにし、こなそうとしていた。失礼な話だが。

 

当たり前だけど、ヘロヘロに疲れた。あえなくタイヤはパンクした。

 

夫は常々言っていた。そんなに無理しなくたっていいんじゃない。ふたりとも初めての結婚で初めてのことばかりだし、上手くいかないのは仕方ないよ。それより今日のお昼は何にする?ってな具合で。
何もしない人の言う台詞か!と思っていた。それに時間ばかり過ぎて、私たちそんなに若くないじゃないかとも。闇雲にどれかひとつでも早急にケリをつけたかった。

しかし、
「家庭では必ずしも有意義な成果を上げる必要はない」らしい。


まして猛スピードで成果を上げようだなんて、これじゃまるで仕事だ。家の中まで効率性を重視した業務のようじゃ、色気も味気もない。昼間も働ているわけで、完全なる過労だ。
何事も過程が楽しくて、成果はオマケみたいなものだった日々を振り返る。時間はかかったけど、結構うまいことやって来たこともある。
何より無意味でくだらないことだけで、愛だの恋だのしてきた。

テレビドラマはいつだってドジでマヌケな主人公が繰り広げる、アホでおバカなエピソードがふんだんに盛り込まれているから面白い。

ハプニングが起きないように先回りし過ぎるのは、その後のドラマチックなドラマを見逃してしまうことにもなる。そもそもハプニングが起こるとも限らない。なんなら先回りしてハプニングを待ちぼうけて、妙な冷や汗をかいても風邪をひくだけ。

 

あれ?我が家のドラマ、どんどん面白くなくなってない?次週が全然楽しみじゃない。このままじゃ、打ち切りになっちゃう。

 

ポカーンと口を開き不安いっぱいなへき地で心細くなった途端、頼りなるのは結局夫なのだと気づかされた。
あぁ、ハプニングに立ち向かう夫の勇姿をもう一度見たいと願った。きっと私とは違う、ちょっと可笑しな方法を使うかもしれないけれど。

私がやった方が上手くいくと思っていたことが、上手くいかなかった。
今はそれだけが事実。そう認めたら、なんだか自然とハンドルを握る手を緩めることができた。思っていたよりも簡単に。

あなたにハンドルは任せるわ、外の景色でも眺めていたいの。と、優雅にはいかないけれど、一緒にソフトクリーム舐めながら、地図を開いて、あちこち指を差し合いたい。目的地は変わったっていい。ちょっとかさばる土産話のにひとつやふたつ、諸先輩方に持ち帰って笑ってもらおう。

それからは本書に書かれていることをなるべくそのまま実践するようにしている。自分でしゃしゃり出て考え出さないように。
そして、しないことが増えると、余白はすぐにできた。余白ができると献立作りも一層楽しい。
もちろんまだしくじるし、しゃしゃり出たくなるし、出てしまうのだけれども、気づいたら、謝り、譲り、整える。

 

自分にもまだ成長する余地があるのかも知れないと思えたら、単純なもので自尊心も不思議と取り戻して来た。


夫に対する見方はパッと変わったし、夫自身もサッと変わったこともあり、それはイコールで私も少し変われたからなんだと思う。相乗効果で、我が家はふたりして機嫌がいい日がつづいている。
そんなわけで、私のひとり劇が終わるのをまったりと待っていてくれた夫のおおらかさに、結局救われる形になった。やっぱりそこに惹かれたんだった。

夫は何事もなかったかのように、運転席へ座るとのんびり発進した。前へ。

 

 

サレンダード・ワイフ 賢い女は男を立てる (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)

サレンダード・ワイフ 賢い女は男を立てる (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)

 

 

 

好きだ好きだ好きだ、旅行記

こんな寒い冬は熱い愛で温まりたい!

 

港で噂の「湯を沸かすほどの熱い愛」が観たい!しかし、私の住む群馬県では上映予定がない!
そんなわけで、お隣栃木県は足利市へはるばる出かけることにしたのが旅の始まりで。
欲張ってそのまたお隣の茨城県へも足をのばしちゃおうと盛り上がり、気づけば北関東3県をぐるっとまわる小旅行になった。

なんとなく計画を立て始めるとバレンタインがわりといいタイミングなことに気づき、前日にガトーショコラを焼いた。年に一度のお菓子作り、毎年バタバタとヘタレながらもかれこれ5、6年、いやもう少し長く、健気に続けている。本命はお義父さん。
それはそれは毎年嬉しそうに受け取ってくれ、お義母さんに見つからないようテーブルの下にこっそり隠すんだ。実の父には決して見せることのないようなかわいい笑顔で、かわいい娘を演じてる自分が実に恥ずかしいが、悪くない。

そんなわけで、毎年練習台になってもらっている夫には何年も本命チョコをあげてないことになるのか。今年の誕生日にはケーキでも焼こうかな。

無事、プレゼントを届けることができてホッとしたところで、出発。

 

最近は映画デートにはまっていて、「怒り」、「ジャニス」、「君の名は。」、「この世界の片隅に」と、旬な映画を2人で観てる。共有できる話題でハイタッチしたり泣けたり揉めたり、むにゃむにゃとディスカッションするのが好きだ。夫はややこしくなってくるとお開きだと仕向けて来るのだが、なにせ私はしつこいので、あのシーンあの台詞が!とか騒ぎ続け、終いにはケンカが始まることもしばしば。
今回はわざわざ観たかった私と、ふんわりついてきた夫の温度差が予想とは逆で、それもまた面白く、ペラペラと話し続け、車はひた走り続けた。

 

やっと水戸市に入った頃。
夫が突如、「いいこと思いついた!」と言い出し、何かと思えば鹿島臨海工業地帯がたぶん近くにあるはずだと言うじゃないか。無類の工場萌えーな私は即座に連れてってと甘え、真夜中の冒険が始まった。
近いと思っていた工場地帯は、今夜の寝床にしようとしていた道の駅とは逆方向な上、まぁまぁな距離もあり、真っ黒な海沿いの道をまたも、もくもくと走り続けることになった。
満月に近いまぁるい月は、いつ海に落ちてもおかしくないほど低く、どぼんと落っこちたらどうなるのかと、眠たい頭でずっと考えていた。じゅわっと言うのだろうか。それは太陽か。

そろそろかなぁと倒していたシートを起こした矢先に、どーんとこれでもかと現れた工場夜景に思わず息を呑んだ。

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これこれこれ、このゾワゾワする感じは何なのか。いまだにわからないけど、このどこからともなくやってくるゾワゾワ感にいつも胸がぎゅーっとなる。

ノスタルジックなその風景は大好きな映画「スワロウテイル」の世界。My wayが流れてる。
何かいろいろ思い出してるような気がするのに、いつも何にも出てはこないんだな。ゴクリとまた何かを飲み込んだ。

静かに興奮し過ぎて、疲れたかな。
心配していた寒さを感じる間も無く、車の荷台で寝袋に包まって2人眠った。相変わらず、車中泊が好きだ。

 

翌朝、水戸芸術館へ向かう前に昨夜走ったであろう海沿いの道を、今度は青空の下走った。いい感じの公園に車を停めてもらうと、遠くにぼんやり浮かぶ工場地帯。幻みたい。

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その海のずっと奥、空との境界線もなくなるほど遠く、その辺りを眺めるのが好きだ。何時間でも見ていられるのってのは嘘だけど、何時間でも見ていたい気持ちになる。四方を山に囲まれた海なし県に生まれ育ち、趣味で山も登るけど、やはり私は海が好きだ。水が好きだ。青が好きだ。海鮮が好きだ。キラキラ眩しかったなぁ。

その後、この旅最終目的地の石川直樹さんの写真展へ。
標高8000mを越える山々にまるで手が届きそうな、ふらっと隣の隣の県に来たはずなのに、それはもう遠くの地へ辿り着いちゃったような、距離を飛び越え、はたまた凍てつくような寒さを、ひたいの汗を拭うような蒸し暑さを、肌で感じまくった。

「雨が降ったら“雨が降った”と書く。物悲しい雨が〜とか今にも世界が終わりそうな雨が〜とかではなく。
自分の主観で目の前の世界をねじ曲げるのではなく、出会ったものを体が反応するままに記録する。」
どこかで読んだ石川さんの言葉そのまんまだ。足し算も引き算もないから、淡々としているのに生々しい。
足し算と引き算を繰り返し、答えが一向に出てないこんがらがった私の頭の中を、パチンっと弾いてくれた。すっきり。ほんと行けてよかった。f:id:hanninmaeshufu:20170228215439j:image

全ての装備を知恵に置き換えること (集英社文庫)

全ての装備を知恵に置き換えること (集英社文庫)

 

 

そして、いつまでも続きそうな長いドライブの果て、ただいま。

 

ずいぶん好き勝手に好きなものを詰め込んだ旅だった。付き合ってくれた夫に感謝。
旅はやっぱり好きなものに足が向いてしまうんだね。好きなものだらけの贅沢な旅で、好きなものを再確認した。

次はどこへ行こうかな、どこへ行けるかな、どこへでも行けそうだ。やっぱり私は旅が好きだ。

 

コツコツ

なんて寒さだ!

先日、大安吉日に神社で厄払いをしてもらい、初市へだるまを買いに街へ出かけた日のこと。 

寒い冬は苦手だけど、賑わう街を歩けば、寒さをこらえて組んだ腕に絡める細い腕や、スキップから軽やかに繋がれる親子の手と手や、コートのポケットにぎゅうぎゅう押し込んだ2つの手の不細工な形とか、人と人が自然とくっついてしまうんだよね。どの季節より一層と。
冬も案外悪くないなぁと、あくびのように道行く人々の笑みにつられ、我々もくっついて仲良く歩いた。

歩行者天国になった大通りには、ゴロゴロとだるまが並んでいる。お店によって、顔が全然違うので、まじまじと見て回っては、威勢のいい値引きの声に足を止めた。

こういう時に直感が一致するのは嬉しいことで、最終的に示し合わせたかのように2人共これだ!と思っていた、凛々しいお顔のだるまさんを連れて帰ることにした。お店の人に相談して去年より一回り大きいものを選んだ。

帰るなり、神棚を掃除しお札を並べ、だるまさんの目を慎重に入れ飾った。我が家を見守ってくれていると思うと心強い。
難しいことはわからないけど、厄払いのお札もだるまさんも、きっと応援してくれているはず、
ありがたく手を合わせると、気持ちもしゃんと引き締まるね。どうぞ我が家をよろしく!

まとめて用事を済ませたこともあり、なんとも清々しい1日だった。

それからしばらくは、どんな年にしたいか、どんな暮らしをしたいか、当たり前に始まった仕事や通常モードに切り替わった家事に追われながら、考えていた。
ざっくり思っていることを書き留めておこう。

食べ物や日用品など、手づくりできるものは挑戦してみる。
四季折々の行事や産物を楽しむ。
お金と向き合い、お金の悪口を言わない。
自ら新しい出会いの場へ飛び込む。
料理を人に食べてもらい、作り続ける。
得たものは分け合えるように。
体力をつける。
いっそ素敵な人の真似をしてみる。
夫に八つ当たりしない。
クヨクヨしない。痛くない。

書き並べてみると、何だか当たり前のことばかりだな。
そして、支えてくれた人や去年の自分に、恩返しする!全てはこの一文に尽きるかな?


あと、正直に好きなことをコツコツ追い続けていこうと思う。
これ、ずっと引っかかっていたことだけど、「わが好なことをするべし」と、神社でひいたおみくじに書かれていて、ポンっと背中を押された。
いつも思いがけずポンっはやって来る。いや、やって来たポンっに気づかなかったり、気づいてもそっぽを向いていたのかも。

でも、ちゃんとやって来るんだ。来たんだ。

いいことは大いに真に受けて、悪いことは笑い飛ばしてこう、鼻唄歌いながら〜てな具合で、ブログも楽しく続けるぞ。

想いがぶわっと広がって、ある程度落ち着いたら、1月も半ばを過ぎていたね。やっと今年の目標らしきものも、ぐっとまとまって来たし、初心忘れずコツコツコツコツ。



2017

そして、ほどなくして年は明けました。おめでとうございます。

かまぼこと三つ葉だけは用意して、あとは冷蔵庫にあるものだけで出汁も取らずに、即席お雑煮を作ってみたけど、なんだか華やかさに欠けた。味付けも良く言えば優しく、ボケっとしていて、最初お湯飲んでるみたいって思ったほど。
誤魔化せないなぁ。色々足したのに。
と言いつつも、各所から頂いたつきたてのお餅が美味しいので毎朝お雑煮おかわり!して、すっかりお正月満喫。相変わらず、食欲=元気印、わかりやすい。

そう、お義母さんの作るお雑煮がまぁ美味しくて、毎年挨拶がてらウキウキ食べに行くのだが、今年も圧倒的に美味しかった。迎えた年の数だけ、年季の入った確かな味。上品とも違うけど、思い出す味。あの味出したい。
せめて形からと、寿の文字の入ったなるとやケチらず筍も入れて、まずは真似てみよう。

新年早々、地元の友達と新年会をした。
20代前半の頃は月一で集まるほど仲のよかったグループも、女子たちの出産ラッシュを期に、集まる回数は徐々に減り、年に一回、誰かがストレスを叫んでは、みんなでよいしょと重い腰を上げる感じにおさまってる。今回もギリギリになって、決まったっけ。

私は女子たちの出産ラッシュにだいぶ出遅れているので、男子たちとはなんだかそこらの居酒屋でよく顔を合わしては、ゲスい話を聞かされて来たが。

そんなわけで、話はやれ子供が生まれた、3人目?!、やれ結婚した、やれ離婚した、と四方八方からぶっ飛んでやって来るのだ。
毎回何らかの爆弾を抱えてやってくる男子が、まいったよーの顔で、今夜もとぼとぼとつぶやき始めた。ボキャブラの高い彼の話はいつもみんなのいいつまみ。

が!
え?今何とおっしゃいました?君、私の夫だったっけ?
とツッコミたくなるほど、我が家と同じような嘘が、最近奥さんにバレたばかりだと言う。
以前なら腹を抱えてゲラゲラ笑えたが、まじで笑えないわ。。。
とりあえず容赦無く横腹を殴っていたわけで。


帰省中の奥さん1人を実家に残して、怒ってないのか問うと、今日はクレジットカードを渡して、思う存分買い物してくれーい!とアウトレットへ送り出したらしい。
10万くらい散財して勘弁して欲しいと嘆いてたが、それはどうかな?
やはり反省より、機嫌取りかね。やれやれ。

どこの家庭もほどほどに諦めていて、明らかに見ていて、大変参考になりました。

ガス代かかるけどね、グツグツ煮込んだ料理は、案外失敗知らずで美味しくなるわけ。
素材の味がぎゅーっと、いい感じに出る。それに比べて、まだまだ私は失敗ばかり。だいたいスパイスに頼り過ぎてるんだな。

何事もサジ加減だ、料理の腕同様、いい塩梅は難しい。
鍋に放って塩ひとつまみと素材の味だけで、美味しい味を出せたら、日々も楽に明るくなるのだろう。お義母さんの味を思い出した。

そんなわけで、正月休みの最終日に私もアウトレットへ連れて行ってもらった。

そうと決まると頭の中でファッションショーが始まり、着くや否や片っ端から試着しまくっていた。
なんとなく欲しかった服はイメージしてあったものの、結局なんにも買わなかったオチ。
なんか買い物が下手になった。相場と値踏みした10万くらいは余裕で使う意気込みだったのに。
夫からは何か買えばいいのにと再三言われたけど、そんなに欲しいものもないんだった。
こんな時くらいあれこれ欲しいと言う方が可愛いに決まってるっと、反省中。ま、可愛さアピってる場合じゃないけど。
例の男子の奥さんは何か買ったのだろうか?面識もないけれど、とびきり可愛いワンピースでも見つかってればいいなぁと思った。

最後にソニプラで、パッケージの可愛い赤いリップクリームを1つ買って、ほぼ同じ値段の駐車場代を払って、山を越え家に帰る、長いドライブになった。道中色々話して、話し過ぎて喧嘩腰になったり、笑ったり、私はそれで楽しかった。

さーて、明日からはまた仕事が始まるのか。いっちょ働くぞ!
今年もよろしくお願いします。



暮れてく日々

わざとらしいけど、年末年始はしおらしく過ごそうということになって、缶ビールを飲みながら、紅白と笑ってはいけないを交互にチャンネルを替えた。何年ぶりだろう。

数年前に年越しで取った熱海の宿は、確か一人3万円もしたのに料理も部屋もイマイチだったよねと、今更夫が言い出したので、結局天気も悪くて初日の出も見れなかったよねっと私は付け足した。誰に対するでもない悪口を共有し、笑い合った。

当時がっくり肩を落としたであろう苦い記憶すら、いいつまみになるのだから、過ぎてしまえば日々は愛おしいばかりだと思う。時間が解決してくれることは時間任せに放っておくのがいいんだって、何度学んでも忘れてしまう。

クリスマスも大晦日も家でのんびり、主に料理ばかりして過ごしていたら、案外楽しくて、こういう時間を忘れていたとことにぼんやりと気づく。

気まぐれでシェフりたがる夫にクリスマス、リクエストしたメニューはローストビーフとパエリア。思い通りにはいかなかったみたいだけど、ちゃんと美味しかったし、何より作ってばかりだから、作ってもらう料理ってそれだけで、嬉しいもの。美味しさもひいき目になり、はなまる満足でした。
冷蔵庫に眠り続ける高いシャンパンはいつなっても開けられず、結局この日も安いワインで乾杯。
その後、夫は無印で買っておいた小さなスポンジケーキに、生クリームをたっぷり塗って、デコペンで私の顔を似顔絵にし、満足そうに食べていた。
反省しているというより、機嫌取りに忙しそうな夫だ。やれやれ。


自粛ムードだったはずなのに、例年のように旅行へ行く予定もなかったので、なかば長期休暇を持て余してしまい、普段なかなか行かないショッピングモールでぶらぶらと時間を潰していたら、思いの外、財布の紐が緩んでいた。
お店のディスプレイは魅惑的だし、みんな楽しそう。私たちもスタバでグランデ!と、調子に乗る始末。


たまにはいいか。

きつく結び過ぎた私の財布の紐、絡まって解けないから、この際ちょん切っちゃえばいいかと思えた。
またがんばろう。何度でもやり直そう。

投げやりになるつもりはないけど、何だか吹っ切れた思いになるのは、やっぱり年の瀬の勢いかな。
そう「今年の汚れ今年のうちに」って、花王のあのCMのフレーズが、毎年頭に浮かぶ。気持ちよく新しい年を迎えたいもの。来年は新しいお財布を買おう。

いったん危機を乗り越えた?

付き合ってきた歴代の全彼氏から、勘弁してってなフラチな恋の黒い歴史まで、余すことなく知り尽くしている古くからの友人と、女三人水入らず、今年は温泉忘年会を開催した。
気づけば誰かが妊娠する前にと焦る、立派な年になっている。

夫の嘘発覚から間も無かったので、何だか気分はイマイチ乗らず。胸の奥につっかえた気持ちを持て余していた。
楽しいはずの旅行、こんな話もしたくなかったのだけど、夕食と温泉を無事終えて、部屋へ戻り、もう浴衣もはだけて極楽極楽だらしなーくお酒を注ぎ合っていたら、何だか込み上げてくる思いが。

酔いに任せて、ついペラペラと夫の悪口を始めた。
そこで、肝のすわり過ぎている水商売で輝く友人から、ウィスキーロック片手に予期せぬお言葉を頂いた。
「あぁ、そんな話?よくあるよくある、〇〇さん(夫)もようやくポンコツ感出て来たじゃん!そのくらい、人間らしくっていいじゃない。」

え!うそーん!いいの?これで。
うわ、ポンコツー!まさにそれそれ。

そのポンコツの響きなら、何だか許せそうだと思ってしまった。夫はスーパーマンから見事愛くるしいゆるキャラに変貌を遂げたのか。
でも、ここは最低ー!信じられないー!ぎゃー!と来るはずじゃ…と、あとになって思ったけど。

女同士慰め合うでもなく、一見暗くなってしまいそうなこんな話を、こうやって笑い飛ばしてくれるのはありがたいし、頼もしく思った夜だった。多分2人とも忘れてるけど、話してよかった。

10代の頃と話す内容はすっかり変わってしまったけど、ガールズトークってやつは、相変わらず何よりのエネルギーだ。

翌朝、ウィスキーロックな友人は絶対に起こさないでと言うので、友人とやや二日弱いの頭と体で朝の露天風呂にしっぽり浸かった。
「でも、ショックだったでしょう」の一言で、ほんとただショックだったんだよなぁって、それだけだった。それだけなのに、派手にこじらせたなぁと反省したし、そう言ってもらえ、安心もした。

ひと月ほど落ちに落ち込んでいたのがいよいよバカらしくなって来たわけで。
そもそも握り拳挙げて、ねじりハチマキ巻いて、裏切られたー!って騒ぐ気持ちは大袈裟だったのか?
いや、世のお金にまつわる夫婦の話をググりまくったけど、もう悲しいしえげつないし、顔も名前も知らないブロガーさんや知恵袋や小町の一言一言に、励まされたり、なんならお金貸したくなったし、
一緒に夫をYAH YAH YAHな気分にまで興奮したし、大袈裟じゃないと思ってるんだが。もうこれ以上はいいか。


後日、相棒と呼んでいる友人にもやっと話を聞いてもらい、これまたほんとに的確なアドバイスを頂き、冷静さも少し取り戻した。
また別の日には、もはや家族だと思っている友人とのファミレス定例会で顎が外れるほど、お互いの夫をYo!Yo!とDISり合い、気づけば別次元の話になっていた。

よく話した。エネルギーは満タンになった。大切なエネルギー、燃費よく年内を過ごそう。


そんなわけで友達の存在にずいぶん救われ、なんとか踏ん張れそうだ。
でも、土台の部分は友達じゃなくて、ちゃんと夫の役目として一からしっかり築いて欲しいと思う。ゆるくていいからさ。その、期待しちゃう辺り、懲りてないのはお互いさまかな。

とりあえず夫をイジメるのも、ほどほどに、私は主婦として今日一日と、せめて明日一日くらいを、気持ちよく過ごしたいと、毎日心がけたい。


我が家に危機到来?

せっかく始めたブログを放置していたのにはワケがあって、夫の嘘が発覚したのだった。ぼろぼろと。
ざっくり控えめに言えば、お給料をずいぶんと誤魔化していたのだ。

この時ばかりはドラマのように床に倒れこんだよね。よくあるドラマのワンシーンもあながちオーバーではないのかも知れない。

何だか引っかかってたあれこれが、みるみるうちに繋がってく不快な感覚にゾッとした。

夫の給料だもの、好きにさせたれ!と言われてしまいそうだけど、我が家は私が管理することになっていた。
今年一年はとくに今や今後のお金に関しても、わりと大事なことを話し合って来たつもりだったのに、それなーりな顔して、実際は腹割って話し合ってくれてはいなかった。
妻がお金の管理をすることには、賛否あって、私自身もいろいろ思うこともあるが、そのことに納得いってないなら、ちゃんと話して欲しかった。

夫の気持ちがわからなくなった。

タッグを組んでいたと思っていた相手の腕はずいぶん遠くにあったようで。
夫よ、言っておく。金額の問題ではないのだよ。

と、まぁこの通り毎晩ムキムキーと涙を堪え、歯を食いしばっていた結果、放っておいた親知らずがガリッとかけたのだった。どんだけ食いしばったんだよ、なんとマヌケな話。
毎晩散々泣き腫らしたがんもどきみたいな顔が、そのまま怒涛の3週連続抜歯コースになり、ぷくぷくの肉まん面にまで膨れ上がっていったわけで。

そんな顔を見て、笑う夫。というか、告白してから、なんならスッキリしている夫。まったく。

私も悪かった。
夫をスーパーマンだと信じてやまず、おや?と思ったことも、愛さえあればと盲目になり過ぎてきた。
…結果がこれだ。
そんなわけで、ブログの方向性が見えなくなってしまった。暗い。いざ書き始めれば、悲劇のヒロインのよう、止まらない愚痴。

主婦のありふれた日常を、結婚生活を、面白おかしく、時にお茶目に綴りたかったのに。
あれ?でも、これいいネタなのか?なにせ夫の悪口ブログはいつでも人気らしい、世の中。


そんなこんなで、ここ1ヶ月は自分の喜怒哀楽に見事なまでに振り回され、自問自答を繰り返していた。

しつこいくらいにいちいち感傷的になったり、バカ笑いしたり、夫に暴言を吐いてみたり、言い過ぎたと落ち込んでみたり、やる気ゼロでコンビニ弁当の夕飯の日も続いたし、離婚の二文字さえさらっと頭によぎるのだから、まだまだもろい。夫婦ってなんだろう。お金ってなんだろう。

忘れてたわけではないけど、厄年だったことも、この年の瀬になり、より胸に突き刺さる。寒いなぁ。
33歳、さんざん、ほんと上手いこと言ってくれるよね。
さて、どんな風にブログを続けていこうか。